【阪神ドラフト選手特集・茨木秀俊(1)】ダル&大谷に憧れ 投手だけを見つめていた野球少年
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届けする。第4回はドラフト4位の茨木秀俊投手(18)=帝京長岡=。
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2004年6月8日に誕生した茨木は「秀俊」と命名された。4526グラムのビッグベイビー。名前の由来について父・幸雄さんは「秀才の秀、俊敏の俊は両方とも優れているという意味がある。何に対しても優れるように、優れる子になってほしい」と願いを込めて名付けたと明かす。
そんな茨木は、幼い頃からずっと、投手への憧れを持っていた。小学2年時に軟式野球チームの「手稲ヤングスターズ」で野球を始めてから高校まで投手一筋。きっかけを作ったのは幸雄さんだ。
幸雄さんは北海道虻田高校で硬式野球部に所属。社会人になってからも会社の軟式野球チームに入り、投手を務めていたという。小学校低学年の頃の茨木は試合に足を運び、父の姿を目に焼き付けた。「父が野球をやっていて、野球に触れることが多くなって野球を始めました」と当時を懐かしむ。
札幌ドームに日本ハムの試合を見に行くこともしばしば。「ダルビッシュ投手や大谷選手に憧れていました。やっぱり球が速いというのは、はっきり覚えていますね」。幸雄さんも「秀俊は昔からピッチャーしか見ていないんですよ」と笑顔を浮かべた。
小学生の頃から投手として優れた才能を持っていた。6年生時には北海道全土のスポーツ少年団の決勝戦でノーヒットノーランを達成。高学年の時に出場した札幌選手権でもチームを優勝に導いた。
幸雄さんには忘れられないシーンがある。それは札幌選手権の試合後のテレビインタビュー。「プロ野球選手になりたいです」-。日頃から言葉数の少ない茨木が、明確に自分の意志を伝えた初めての瞬間だった。
中学では「札幌東シニア」に所属。投手として成功するために、自分で道を決めた。北海道の高校からは多くオファーを受けたが、県外は新潟県の帝京長岡のみ。それでも、日本ハムで投手として活躍した芝草宇宙監督からの熱心な誘いに心を打たれ、「向こうに行くから」と決意。自らの選択が正しかったことを、高校でのハードな取り組みが証明することになる。
【茨木秀俊アラカルト】
◆生まれ 2004年6月8日の18歳。北海道札幌市出身
◆サイズ 182センチ、85キロ
◆投打 右投げ右打ち
◆家族構成 父、母、弟
◆球歴 手稲中央小2年時に手稲ヤングスターズで野球を始め、ポジションは投手。手稲中では札幌東シニアでプレーし、帝京長岡では1年夏からベンチ入り。今夏の新潟大会準決勝では延長12回完封勝利で、創部初の決勝進出へ導いた。甲子園出場はなし。
◆憧れの選手 オリックス・山本由伸、パドレス・ダルビッシュ有、エンゼルス・大谷翔平
◆対戦したい投手 ロッテ3位の田中晴也投手(日本文理)。「今年の決勝も含め、2度負けているから」
◆座右の銘 「不可能はない」
◆変化球 カーブ、縦横と2種類のスライダー、チェンジアップ、ツーシーム
◆関西で食べたいグルメ たこ焼き、お好み焼き