元競輪選手・三宅伸氏「西純矢君、強気な投球で“アレ”に貢献を」 伝説OB三宅秀史氏の甥

引退セレモニーで花束を受け取る三宅伸氏(10月30日)
全日本選抜競輪で優勝し、ガッツポーズする三宅伸氏=2008年12月9日、西武園競輪場
現役時代の三宅秀史さん=1962年8月、甲子園球場
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 岡田彰布監督(65)が三宅秀史氏(故人)の華麗なプレーに憧れ、入団時に同氏と同じ背番号『16』を所望したというのは有名な話。そんな岡田監督へのエール企画「アレが見たい」第8回はその秀史氏の甥で、元競輪選手の三宅伸氏(53)=デイリースポーツ競輪評論家=に登場してもらった。約30年間にわたり競輪界のトップクラスで活躍。今年10月惜しまれながら引退した。伯父の影響で本人も野球少年だった伸氏が、岡田阪神への熱い思いを語った。

 三宅秀史さんは自分の父親の兄、だから伯父ですね。物心がついたときから野球、特に阪神タイガースには特別な思いがありましたが、なぜか両親は伯父のことを詳しく教えてくれませんでした。

 伯父は僕が生まれる前に引退していましたし、両親に聞いても「ケガをして早くに辞めた」と言葉少な…。ただ伯父と三遊間コンビを組んでいたのは吉田義男さんというのは知っていましたし、阪神は日本一になった第2次吉田政権から応援していました。

 僕は伯父と同じ岡山・琴浦高校(現倉敷鷲羽高、秀史氏在籍時は南海高)の野球部、しかもエースで四番。一方で近所に玉野競輪場があったり身内にも選手がいたので、競輪というスポーツがすごく身近にありました。だから野球に見切りをつけるのは難しくありませんでした。

 でも野球はずっと見ていました。一度、甲子園のベンチへ入らせていただく機会があり、島野育夫ヘッドコーチにご挨拶しました。「おい、うちのせがれ(元競輪選手・島野敦識=引退)も頼むでぇ」と言われましたが「S1(競輪のトップクラス)になってからの話ですね」って冗談で返したら「そりゃ無理やわ」と笑われました。

 5年くらい前かな。ある競輪選手から「今スポーツ関係のパーティーに来ているけど、吉田義男さんが“あんた競輪選手か?三宅伸はまだ走ってんのか”と聞かれました」と電話がありました。僕はすぐ代わってくれと言いましたが「もう(吉田さんは)へべれけで酔っ払って喋れない」と(笑)。

 なぜ両親が幼い自分に伯父のことを詳しく教えてくれなかったのか。それは大人になり、社会人としてそれなりの地位を築いてから自分の足で聞きに行け-。そう言われていたような気がします。

 岡田監督が伯父のプレーに憧れ、長嶋茂雄さんが目標にしたとも聞いています。川上哲治さんをして「三宅秀史のシートノックは金が取れる」とも。伯父のことを知る人が少なくなっているので、岡田監督にも吉田さんにもお目にかかって是非聞いてみたいものです。

 来季からの岡田阪神の期待も高まりますが、自分は岡山県出身なのでやはり西純矢君を応援しています。高校の時から地区予選などで見ていましたし、あの強気なピッチングでぜひ“アレ”に貢献してほしいですね。

 ◆三宅 秀史(みやけ・ひでし)1934年4月5日生まれ。岡山県出身。53年に阪神入団、三塁手として活躍した。守備の名手としてだけではなく、700試合連続フルイニング出場などの記録も残した。引退後は阪神で2軍監督などを務めた。21年3月3日心不全により86歳で死去。

 ◆三宅 伸(みやけ・しん)1969年8月13日生まれ、53歳。岡山県出身。岡山県立琴浦高から日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)64期生として89年3月デビュー。主なタイトルは08年12月の「G1・全日本選抜競輪(西武園)」。KEIRINグランプリ出場は3回。22年10月引退。生涯獲得賞金は10億8547万6931円。このたびデイリースポーツ競輪評論家となり、30日のグランプリ(平塚)でデビューする。

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