阪神・ドラ1森下 甲子園で10発や!54年ぶり偉業宣言「名を刻めるような選手に」
阪神ドラフト1位の森下翔太外野手(22)=中大=が2日、地元・横浜市内の西洗第一公園で自主トレを公開した。新年の誓いとして、記録の残る1950年以降では69年の田淵幸一以来となる、54年ぶり2人目の球団新人の甲子園2桁本塁打を宣言。聖地で快音を連発し、虎党を“とりこ”にしてみせる。
思い出の詰まった地元の空気を感じながら、森下は黙々と汗を流した。キャッチボールやトスバッティングで約2時間、自主トレを実施。晴天に思い描いたのは、甲子園の虎党が総立ちとなるシーンだった。
「新人王を自分の中で目標にしている。そこを取るためにもホームランというところは(甲子園で)2桁をしっかり目指して頑張ります」。新年の誓いとして口にしたのは、新人年での甲子園2桁本塁打。記録の残る1950年以降では69年の田淵幸一以来、54年ぶり2人目となる偉業だ。
入団から2年連続で20本塁打以上を放っている佐藤輝も成し得ていない、甲子園での2桁アーチ。それでも、「自分でもできると思って言いましたし、努力して頑張りたい」と力強く言い切った。
聖地で特大の放物線を描くイメージもバッチリだ。右翼から左翼方向に吹く浜風の影響で、甲子園では右打者の引っ張る打球が有利とされているが、「センター方向から逆(に打つ)というのが自分の持ち味」とキッパリ。「あまり引っ張りにいきすぎず。その結果、引っ張ってホームランという形くらいの意識でいきたい」と、自然体で打席に立つ中で浜風を味方に付ける。
自主トレを行った西洗第一公園は、少年野球の大会が盛んに行われることから「こども甲子園」の愛称で親しまれている。少年野球時代の大会では同公園の左翼に特大本塁打をマーク。「こども甲子園から普通の甲子園で、また一層頑張りたい」と地元の“聖地”で、次なる本拠地・甲子園での活躍を誓った。
年末年始は地元で英気を養い、新人合同自主トレを含め、春季キャンプまで徐々に調整を進める予定。「心も体も充実した状態でキャンプに行って、1軍を勝ち取りたい」と焦らずとも着実に、開幕1軍入りへの準備を進めている。
「関西で自分の名前が有名になるくらい甲子園で結果を残したい。甲子園の歴史に名を刻めるような選手になりたい」と背番号1。聖地の大歓声を浴びる瞬間に胸を躍らせながらプロの門をたたく。
◆阪神新人の甲子園2桁本塁打 阪神で過去、新人で2桁本塁打を記録したのは1948年の別当薫(13本)、1950年の渡辺博之(11本)、1969年の田淵幸一(22本)、1980年の岡田彰布(18本)、2021年の佐藤輝明(24本)の5人。そのうち、記録の残っている1950年以降に限ると、甲子園で2桁本塁打を記録したのは田淵の12本だけ。渡辺は3本、岡田は5本、佐藤輝は8本だった。
◆森下 翔太(もりした・しょうた) 2000年8月14日生まれ、22歳。横浜市出身。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。外野手。日限山小1年から野庭日限フェニックスで野球を始める。日限山中時代は戸塚シニア。東海大相模では3年時にセンバツ4強。中大では1年春からレギュラーで、同年夏に大学日本代表入り。東都大学リーグでベストナイン2度。大学通算9本塁打。