奥さまの惜しみない内助の功 岡田監督の下、あのパレードが見たい 元阪神広報・村山久代さん

 18年ぶりの“アレ”を目指す岡田彰布監督(65)へのエール企画「アレが見たい」。第17回は、元阪神タイガース広報担当で昨夏に退職した村山久代さん(65)。岡田監督とは同い年で、指揮官が入団時から裏方としてチームに携わってきた。03、05年優勝時など、球団初の女性広報として、岡田監督の妻・陽子さんらと関わる中で見た家族の支えや、自身が体験した優勝パレードへの思いを語った。

  ◇  ◇

 短大を出て入団してから2年後に、岡田監督が入団されました。私は当時営業部。ドラフトの日はテレビ前に職員が集まりました。6球団競合で「早大・岡田彰布内野手」を引き当てた時には、みんなで「やった!」と喜んだ記憶があります。

 当時は掛布(雅之)さんや真弓(明信)さん、江本(孟紀)さん、若菜(嘉晴)さんとスターがたくさんおられましたが、大卒1年目の岡田監督がすぐに一流選手の中に溶け込んでいかれたことも印象的でした。

 女性はグラウンドに行かない時代です。マスコットガールのお世話などで球場には行っても、グラウンドへのスロープを降りることはできなかった。ただ、後援会「岡田会」の世話人だった吉川吾朗さんとグッズの件で相談したり、お母さまのサカヨさんが見に来られたりと、周囲の方を通じて一方的に身近に感じていました。

 奥さまの陽子さんとは2度の優勝旅行でご一緒しました。03年のオーストラリア旅行では次期監督就任が決まっていたため、岡田監督は会食や取材でご多忙でした。そこでゴールドコーストでの一日を、買い物からディナーまで2人で過ごさせていただきました。英語がご堪能で、私が緊張しないように気さくに接してくださり、娘へのお土産を探してくださるなどお気遣いをいただきました。

 05年のハワイ旅行では、私が岡田監督の広報を担当していました。シーズンを終えてリラックスされている状況でも、連日の取材設定は必須です。しかし、ゴルフにプールにとプライベートを満喫されているさなかに相談するタイミングが難しい。こちらがちゅうちょしていると、陽子さんが何度か「今、聞いてみたらいいんじゃない?」と目配せして教えてくださいました。

 03年に18年ぶりの優勝を果たした後、日本中が注目する中で星野監督の後を継いだご主人を支えるのは、大変なことだったと思います。広報の私に力を貸してくださったことも、惜しみない内助の功だったと感じます。

 昨年、サッカーW杯のアルゼンチンの盛大なパレードを見て思い出したのは、03年の優勝パレードです。大阪と神戸を合わせて65万人もの方が沿道を埋め尽くされ、雨の中、歓喜の声をあげて手を振ってくださいました。

 国を挙げたW杯を例にするのはおこがましい気もしますが、あの時、先導車で胸を熱くした感動はそれに匹敵するようで、今も目頭が熱くなります。ファンの皆さんもチームもフロントも、タイガースに関わるすべての方にあのパレードを経験してほしい。岡田監督の下で、あの感動を味わっていただけたらと心から願っています。

 ◆村山 久代(むらやま・ひさよ)1957年8月13日、大阪府茨木市出身。大阪成蹊女子短大を卒業後、78年に阪神タイガースに入団。営業部、総務部を経て97年、球団初の女性広報担当となる。2005年、球団初の女性管理職となる広報担当課長に就任。名物広報として歴代監督、選手を支えた。昨年7月の退職時には、甲子園球場で歴代担当記者や関係者による「引退式」が行われた。

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