阪神・岡田監督「亡くなったんか」 “陰のオーナー”上岡龍太郎さん悼む 「交流どころの話やないよ」
「阪神(降雨中止)ロッテ」(2日、甲子園球場)
阪神は2日、ロッテ戦(甲子園)が雨天中止となった。岡田彰布監督(65)は甲子園室内練習場での練習前に、5月19日に死去していた上岡龍太郎さんを悼んだ。“陰のオーナー”を自称するほど熱心な虎党だった上岡さんとは現役時代から交流があり、思い出を明かした。天国で見守ってくれている上岡さんへ今年こそ“アレ”を届ける。
あまりに突然の別れにショックを隠し切れなかった。雨天中止が決まった練習前、上岡さんが死去したことを報道陣から伝え聞くと、岡田監督は「えっ!?あっ、そう!」と声を上げて驚いた。
「交流?交流ていうか、そんな交流どころの話やないよ。そら(大阪市)谷町のあのマンションに住んでて。そんなん知ってるどころじゃないよ。ゴルフも来とったしのお、よっさん(吉田義男元監督)のゴルフにも来ていたよ」
岡田監督は大阪市内の玉造に実家があることから、関西芸能界や角界など交友関係が広かった。熱心な虎党と知られた上岡さんとの思い出も数え切れない。「そんなん、一緒に飯を食いに行ったり、飲みに行ったりな」と懐かしんだ。
上岡さんは2000年に芸能界を引退。最近会う機会はなかったとはいえ、気の置けない仲間の1人だった。「そんなん全然、知ってるよ。あっそう、亡くなったんか…」。岡田節に深い悲しみがにじんだ。
「あの頃は何や、何か陰のオーナー言うてたかな」。指揮官が懐かしんだように上岡さんは1980年代、KBS京都の阪神応援番組「タイガース・フィーバー」で司会を担当していた。テレビ番組内では「阪神タイガースのオーナー」を自称。歯に衣(きぬ)着せぬ発言が人気の上岡さんだが、阪神への愛情は深く、リーグ優勝、日本一を達成した1985年は一緒に喜び合った。
「家も近かったしなあ。昔なんかしょっちゅう遊んどったよ、試合終わってから」
15年ぶりに阪神監督に復帰した今季は開幕から首位を快走中。上岡さんも病床できっと戦いぶりを見てくれていたはずだ。今年こそ、天国の上岡さんへ“アレ”を届ける。指揮官に戦う理由がまた増えた。