井川慶氏が振り返る2003年の星野阪神 闘将との最後の戦いで日本一になれなかった悔しさ

 球団史上初の日本一に輝いた1985年を含め、阪神は日本シリーズにこれまで6回、出場している。その時の戦いぶりはどんなものだったのか。選手として、コーチとして、関係者として関わったデイリースポーツ評論家が当時を振り返る「リメンバー日本S」。今回は井川慶氏が2003年、ダイエーとの日本シリーズを語った。

  ◇  ◇

 2003年の日本シリーズは、まず始まる前のことですよね。星野監督がその年限りで辞められることが報道されました。ただ、シーズン中も体調不良になられたりして、体調面のことは分かっていたので、動揺とかはなかったです。

 対戦したダイエーは、その年残したシーズン打率・297と安打数1461が日本記録の数字というぐらい、打線が強力で。一度スコアラーの方と視察に行きましたが、その年15勝だった岩隈君(当時近鉄)の150キロ超えのボールを普通に打ち返していて、とにかく直球に強かった。城島さん、井口さん、松中さん…勝負どころで変化球をしっかり投げないと抑えられないという意識でしたね。

 映像でも研究はしましたが、当時、パ・リーグに私と同じような左ピッチャーがいなかったので、あまり参考にならなくて。そういった中での初の日本シリーズでしたが、特別な雰囲気とかは感じなくて、いつものように試合には入れました。

 第1戦で投げ合ったのは斉藤和巳さん。共に20勝投手いうことで注目されましたが、これはお互いだと思いますが、やはり疲れがあって、シーズン中に勝ち続けていた時の状態ではなかったです。結果、私は5回3失点。七回途中まで投げた斉藤さんより先に降板する形となり、試合も負けてしまいました。

 その後は雨天中止もあり、元々第5戦だった日に組まれた第4戦に先発しました。そこでは6回2/3を4失点。甲子園での試合で、チームが勝てたことは良かったですが、シリーズとしては第7戦までもつれて3勝4敗。私は2試合に投げさせてもらって、負けは付かなかったけど勝ちも付いていない。星野監督との最後の戦いで、日本一になれなかった悔しさがありましたね。

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