阪神・岡田監督 伝説の1962年パレード参加「覚えてるわ。白いブーツで乗ったん」手を振り「おーん。ほぐれたわ」【一問一答】
「兵庫・大阪連携『阪神タイガース、オリックス・バファローズ優勝記念パレード』」が23日、兵庫・神戸と大阪・御堂筋で同時開催された。阪神は両会場で65万人のファンを動員。岡田彰布監督(65)は「覚えてるわ。白いブーツで乗ったん」と、ファンの間で語りぐさとなっている幼少期の1962年・御堂筋パレードに参加していたことを回顧。その上で「(ファンの)ありがとうという言葉がな」と初の日本一パレードを振り返った。
以下、岡田監督との一問一答。
-ゴルフやって手を振って大変。
「おーん。ほぐれたわ、肩とひじ。こってたのに」
-想像と比べて
「いやいや、あのー、裏のほうもものすごいおったからな。鉄柵かなんか作ってな。すごかったな」
-以前も経験されているが、あれだけの人数は。
「どうなんやろ。どう?どのくらいかわかる?発表した?」
-午前の神戸で30万人、大阪の方が多そうだったが。
「大阪のほうが多かったな、やっぱり」
-大阪は35万人。
「35万。ああそう」
-それだけすごい規模。
「それはすごいよ、それは」
-阪神のパレードは全て参加している、62年も父の関係で。
「そうやなあ。どっちか忘れたけどなあ。(64年は開催されてない、と聞いて)そうか。じゃあ62年か。62年は幼稚園やなあ。64年が小学校1年やからなあ、あのオリンピックは。うん」
-オープンカーに乗った記憶はあるか。
「あるある。白いブーツは覚えてるわ。白いブーツで乗ったん。それは覚えてるけどな。あれ、みんなオープンカーやったなあ」
-小学校からのスタートは感慨深いものがあったか。
「まあなあ。前はだって市役所の前やった。もう一個後ろの、中之島の。あそこ工事をやってるからか?なんかようわからんけど。あれ、ツインタワーになるんやな、前とつながるんやあれ。昔のミズノの後やもんな」
-印象に残った声援は?
「ありがとうというのが多かったよな」
-改めて勝たないといけないと思ったという話をした。勝つ喜びを知ることは大事か。
「まあ、グラウンドでやってる選手がな、俺よりも。まあ、みんなほとんど初めてやん、ほとんどという選手がな、だからやっぱああいう光景を見てな、またね、1年後やろうっていうかな、こんだけすごいんだって言うかな、やっぱ間近にな、体験できるいうのはものすごい大きいと思うよ」
-一度の優勝で飽き足らず貪欲に何度も。
「それはもう、ずっと前の時もそう思っとったんや、それができんかった(笑)」
-一度優勝したチームは欲が出て強くなる。
「いやいや、そら強なってくれたらいいけど(笑)でもまあ、今のチームは前とちょっと違うからな、まだまだそんな完成されたような、そういうチームじゃないし、まだまだそらな、年齢的にもみんな若いし、伸びしろとかな、個人個人のそういう伸びしろはまだまだあると思うあるから、そういう意味では楽しみよな、前の時よりかはな、だいぶ」
-三宮でもできたことについては。
「この前は向こうやらんかったもんな、それはよかったと思うよ、2つ、両方できたいうのはな。ここ兵庫県やからな、一応、西宮はな笑」
-天気良かった。
「いやいやほんと、2回雨やってんな、03年の雨は覚えてるけど、05年も雨やってんな」
-余韻に浸りたいと。
「まだキャンプ終わって、昨日で2回目やんか。キャンプな、すぐ安芸行ったからその流れがあったからな、それほどな、気持ち的にはまだまだな、日本シリーズ終わって、まだちょっと野球してるような感じやったからな、そらキャンプ終わって帰って来て、昨日くらいからやな、ゴルフでみんな集まるとか、今日もみんな集まってパレードできるとか、それでだんだんそういう実感わいてくると思うよ」
-85年はパレードがなかった。日本一でのパレードはまた違うものもあった。
「うーん、だから2回ともな、日本シリーズ負けたパレードやったからな。それはやっぱり勝ってやる方がいいよな。最後までな。気持ち的にも違うしな。うん」
-2003年と2005年と、歓声や雰囲気の違いは。
「いや、それはね。おめでとうとありがとうの違いかな。それはな、みんなおめでとういう言葉をもらったけど、ありがとうという言葉の方がなんか残ってるよな。実感にな。ありがとうの方が多かったような気するよな。言葉的にもな」
-それだけ阪神ファンが長い間優勝を待っていた。
「そうやろな。俺も半分待ってたけどな。ずっとスタンドで見とったんやから」