元阪神・榊原良行氏が死去 堅実守備とバット短くコンパクトな打撃 岡田監督も「バラさん」と慕う 74歳、肺炎

 現役時代の榊原良行さん 
 ゴロをさばく榊原氏。右(16)は岡田=1981年
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 元阪神・榊原良行氏が26日の午前1時ごろ、肺炎により、名古屋市内の病院で死去した。74歳だった。通夜は27日の午後7時から、葬儀・告別式は28日の午前11時からいずれも愛知県名古屋市北区黒川本通2丁目43番地、ティア黒川東館で執り行われる。喪主は妻・淳子(じゅんこ)さんが務める。

 榊原氏は浜松商、中大、日本楽器(現ヤマハ)を経て1974年度ドラフト4位で阪神に入団。バットを短く持つコンパクトな打撃と堅実な守備を武器とし、内野手として活躍した。後輩の阪神・岡田監督から「バラさん」と呼ばれるなど仲間から親しまれた。

 81年オフに日本ハムへトレードとなり、84年に現役を引退。85年は日本ハムでコーチを務めた後、86年から阪神に復帰し、1軍守備走塁コーチを務めた。98年には岡田監督が2軍助監督兼打撃コーチ、榊原氏が2軍内野守備走塁コーチを務め、指導者としても同じ時間を過ごした。

 次男・健治さんは「岡田監督のことはリスペクトしていた」と明かし、今季から岡田監督の再登板が決まった際には「『阪神、勝つんちゃうか』と言っていました」と期待を寄せていたという。

 中日でもコーチを務め、99年からは台湾・兄弟エレファンツ(現・中信兄弟)のコーチとなり、後にヘッドコーチに就任。台湾の社会人野球の指導にも携わるなど、異国の地の野球発展にも貢献した。

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