【阪神ドラフト選手特集・下村海翔(2)】高校時代恩師とのマンツーマンで手に入れた“武器”

 阪神ドラフト1位の下村
 2年の春から背番号1をつけた九州国際大付時代の下村(本人提供)
 九州国際大付時代の下村(本人提供)
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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。第2回はドラフト1位・下村海翔投手(21)=青学大=の高校時代を振り返る。

  ◇  ◇

 もう一人の恩師との出会いも下村の野球人生を変えた。宝塚ボーイズの先輩たちが高校で寮生活をしていることに憧れ、自身も親元を離れることを決断。特に憧れたのが下村が中学3年時、3年連続夏の甲子園に出場していた九州国際大付だった。

 宝塚ボーイズの奥村監督と、同校野球部の楠城徹監督(72)が知り合いだったこともあり、楠城監督も視察に訪れていた。その中で下村のフォームや球筋が目に留まり、「ぜひお願いします」と勧誘。“相思相愛”で下村は入学を決めた。

 ただ、野球部に入部し絶望した。同級生は強豪校のエース、中学日本代表、九州選抜など、すごい面々がそろっていた。「自分は実績も全然ないし、『絶対無理や』とびびってました」と下村。入ってしばらくは試合でも四球を出して自滅して怒られるの繰り返し。プロの世界は全く考えていなかった。

 転機は1年の秋だった。チームが秋季大会で敗退すると、楠城監督から突然「Aチーム(上のチーム)についてこい」と命じられた。そして遠征先で試合に登板。1失点だったにもかかわらず、監督に怒られた。「一回ピッチング禁止や。ネットスローからもう一回作り上げてこい」

 まさかの“投球禁止令”。下村は訳も分からないまま、翌日からネットスローを始めた。すると今度は監督にブルペンに呼ばれた。「これからは毎日ブルペンを俺が見る」。このマンツーマンレッスンが下村の“武器”の原点となった。

 監督からの指令は「スライダーを覚えろ」。当時持ち球は直球とカーブだけ。スライダーを投げたことはあったが、全く使い物にならなかった。「スライダーは曲がった方がいい」と思っていた下村だったが、監督の指導は正反対だった。「小さく速く」。手首をひねる癖があり、最初は「真っすぐのイメージでいいから」と教えられた。ひたすら特訓を続け、2週間。突然監督から「OKや」と合格をもらった。

 そして11月、練習試合で先発をすることに。「絶対大丈夫やから」と監督は言ったが、下村は本当に抑えられるのか不安しかなかった。しかしいざ投げてみると、秋季大会でチームが敗れた東福岡に対し、2桁奪三振で完投。試合後、監督にも「ナイスピッチ!」と褒められ、「あの試合で一気に自信がついた」。猛特訓した小さい変化のスライダーが冴え、これが現在武器としているカットボールの礎になった。「肘の使い方が良くて。必ず成功すると思っていた」と楠城監督。下村に期待を込めての熱血指導だった。

 そこから急成長を遂げた下村は2年の春から背番号1をつけ、九州大会で優勝。同時期には、前への突っ込み癖をなくすため、ワインドアップからセットポジションに変更。フォームも良くなり、中学卒業時135キロだった球速も145キロにまで伸びた。

 その頃から少しずつプロも意識。思いを確固たるものにさせたのが高3の進路を決めた後だった。「対戦経験のある同学年の人たちがドラフトで指名されている瞬間を見たとき『絶対プロに行きたい』と思った」。自身も高卒プロを考えたこともあったが、そこまでの覚悟はなかった。「4年間やって自信をつけるしかない」。プロ入りを見据えて青学大に進んだ。

 ◆下村 海翔(しもむら・かいと)2002年3月27日生まれ、21歳。兵庫県出身。174センチ、73キロ。右投げ右打ち。投手。小学3年時に甲武ライオンズで野球を始め、甲武中では宝塚ボーイズに所属。九州国際大付では1年秋からベンチ入り。青学大では1年秋から登板。23年の日米大学野球でMVP。今年度ドラフトで阪神から1位指名。好きな有名人は、齋藤飛鳥とYouTuberのサワヤン。

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