【阪神ドラフト選手特集・椎葉剛(1)】「グラウンドには神様がいてる。自分に自信持て」 父の教えが信念
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。今回はドラフト2位・椎葉剛投手(21)=四国ILp・徳島=の少年時代を振り返る。
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「テレビで阪神戦がついていたのと、お父さんが草野球をしていたことです」-。椎葉が明かす、自身にとっての球道の原点だ。
2002年3月18日、椎葉家の三男として大阪府堺市で産声を上げた。父・章さん(60)の意向で、5歳上の長男・光さん、1歳上の次男・匠さんと同様に、漢字一文字で「剛」と命名。「下の子だけど、強く育ってほしい」という思いが込められた。
末っ子だが、甘えん坊ではなかった。「ほんまに真面目な野球少年やったわ。上の子がダラけとったときに、俺が『ちゃんとせえ!!』と怒鳴ってたから、そういうのを見て剛は『ちゃんとしよ』と思ったんやろうね」と章さん。兄が親に叱られている姿に触れ、幼心に学習していたのだろう。
虎党の章さんの影響で、自然と阪神ファンに育った。物心つく前の03年と05年のリーグ優勝は記憶にはない。だがやがて、絶対的守護神・藤川球児が火の玉ストレートで三振を奪うシーンをテレビ中継で見て、親子で盛り上がるようになった。
幼稚園年長時に、子供用のバットとグラブを買ってもらった剛少年。近所のグラウンドの外から、少しだけ年上の小学生が野球するのを、大事なグラブをはめて眺めるのが日課だった。仕事で忙しい章さんと、たまにできるキャッチボールがうれしかった。
三原台小学校に進学すると同時に、光さんも当時所属していた高倉台ポニーズへ。中学時代に野球部エースだった章さんからの教えは一つだけ。「グラウンドには神様がいてる。恥ずかしくないよう、自分に自信を持て」。技術ではなく、信念のみを受け継がせた。
ポニーズでも、中学時代の富田林ボーイズでも、椎葉は投手と捕手の両方をこなした。高校進学は甲子園出場歴がある島根県内の私立に決まりかけていたが、椎葉自身は納得いかずに悩んだ。そんなときに声を掛けてくれたのが、島原中央の李崇史監督(41)だった。
「この人と野球がしたい」と心を決めた。大阪からは10人ほどが同校に進学。入学式の直前、長崎に向かうフェリーの甲板で新たなチームメートと伸びた髪の毛をバリカンでそり合って、高校球児となる最終準備を終えた。
【アラカルト】
◆名前 椎葉剛(しいば・つよし)
◆生まれ 2002年3月18日、大阪府出身
◆家族構成 両親、兄2人
◆サイズ 身長182センチ、体重92キロ
◆投打 右投げ右打ち。最速159キロ。球種はスライダー、カーブ、フォーク
◆球歴 小学時代は高倉台ポニーズ、中学時代は富田林ボーイズ。島原中央(長崎)では主に捕手。ミキハウスで投手としてのキャリアを本格スタート。3年目の昨オフに戦力外。今季から四国ILp・徳島
◆足 50メートル走6秒8
◆遠投 120メートル
◆憧れの選手 藤川球児、現役では山本由伸
◆趣味 釣り
◆好きな食べ物 焼き肉、ラーメン
◆好きな芸能人 ローラ
◆座右の銘 置かれた場所で咲きなさい
◆よく見るYouTube 平成クインテット