【阪神ドラフト選手特集・山田脩也内野手(1)】「体が勝手に野球をやっていた」“無類の野球好き”
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。ドラフト3位・山田脩也内野手(18)=仙台育英=は早熟な野球キッズだった。
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物心ついた時には野球に心を奪われていた。3歳の誕生日だった。山田はグラブと練習着が欲しいと両親にねだった。白い練習着を着た6歳上の兄利輝さん(24=現TDK)の姿が、どんなヒーローよりも格好良く見えた。「おもちゃ屋に連れて行っても、仮面ライダーの変身ベルトよりグラブがいいという子でした」。父浩二さん(45)は懐かしそうに振り返る。
「泣かないで自分できちんと着られるなら、サンタさんに頼んであげる」。母歩さん(45)と約束を交わした。サンタクロースから贈られたぶかぶかの練習着を着て、荒町タイガースに所属していた兄の練習について行くうちに、自然と野球を始めていた。
幼い頃はプロテクターやレガーズに憧れ、「審判になりたい」と無邪気な夢を語っていた。散歩中に社会人の草野球を見つけると、かじりついてその場を動かなかった。保育園の先生にもキャッチボールをせがんだ。「無類の野球好き」と父は言う。「体が勝手に野球をやっていた。習慣みたいな感じ。野球しか魅力を感じなかった」。山田はこれまでの歩みをそう表現した。
両親は現在、埼玉県で暮らしているが、父が転勤前まで住んでいた仙台市の一軒家には野球の練習部屋があった。元々は客間だった12畳の和室で、父がトスを上げて兄弟がバットを振った。ゴロ捕球やバランスボールを使った体幹トレーニング、時にはボールを壁に投げて跳ね返りをキャッチする“一人試合”のようなこともした。何度も窓ガラスを割り、カーペットはボロボロになった。そんな日々は山田が中学生になるまで続いたという。
体は小さかったが、努力で磨かれた才能はすぐに輝きを放つようになった。小学6年の夏には侍ジャパンに選出され、U12W杯(台湾)に出場。「9番・投手」で先発した3位決定戦でメキシコに敗れて4位だった。「すごい選手になって、また会いに来てください」。巨人などでプレーした仁志敏久監督からチームに伝えられた言葉が幼心に響いた。「そこから気持ちも変わりました」。ひと夏の経験が、山田をさらに野球に没頭させていくことになった。
【山田脩也(やまだ・しゅうや)アラカルト】
◆生まれ 2005年8月20日生まれ18歳。宮城県仙台市出身。
◆サイズなど 177センチ、71キロ。右投げ右打ち。遊撃手
◆家族構成 父、母、兄、姉2人
◆球歴 南吉成小1年から仙台広瀬リトルリーグの荒町タイガースで本格的に野球を始め、6年では侍ジャパンU12日本代表としてW杯で4位となる。南吉成中では仙台東部リトルシニアに所属。仙台育英では2年夏に甲子園で優勝し、3年夏は準優勝。U18日本代表では世界一に貢献した。
◆足 50メートル走6秒2
◆遠投 100メートル
◆座右の銘 「優れるな、異なれ」。オリエンタルラジオ中田敦彦の言葉。「YouTubeで見て、いい言葉だなと」
◆趣味 アニメが好き。最近ではNetflixで「呪術廻戦」「ワンピース」を見る