【とらものがたり・大竹耕太郎投手編(7)】育成でもプロか、安定の社会人野球か
阪神選手の野球人生に迫る新企画「とらものがたり」。現役ドラフトで加入し、12勝を挙げて大ブレークを果たした大竹耕太郎投手(28)の第7回は、卒業後の進路を「めちゃくちゃ迷っていた」と振り返る早大4年時にスポットライトを当てる。
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幼い頃から大竹は、プロ野球選手になることを夢見てきた。ただ、早大4年時は確実に支配下でプロに行けるという保証はなかった。育成OKの姿勢でもプロにこだわるか、給与面など安定した生活を送れる社会人野球に進むか「めちゃくちゃ迷っていた」という。
進路選択に向け、母・和子さん、姉・沙季さんとの家族会議が行われた。実は、強豪の社会人チーム数社からオファーをもらっており、ある大手企業からは「大竹君はウチのドラフト1位だから」とプッシュされていた。
この企業に入れば、こういうメリットがあるなど現実的な面についても話していたという。沙季さんは「一人前に自立するために仕事をして、収入を得て生活するのが当たり前だと思い描いていたはずなんですよね」と弟の姿を思い返す。
ただ、その理由でプロを諦めてほしくなかった和子さんと沙季さんは、真っすぐな思いでこう伝えた。
「野球がやりたいんでしょ?たとえ、収益が無くなっても私たちも働いているし、どうなっても大丈夫。プロ野球を目指してきたんだから、若いうちから諦めなくていいよ」
家族の意見などもあり、大竹は育成でもプロに行く決心を固めた。「プロ入りせずに社会人に行ったとして、そこからプロに行けなかったら大後悔する。プロ入りした時に、社会人に行けば良かったという感覚は絶対、ないだろうと思って」。早大では前例のない育成OKの姿勢で、プロ志望届を提出した。
そして、17年ドラフト育成4位で幼い頃から大好きだったホークスに入団することになる。済々黌在籍時から熱心に足を運んでくれた同じ九州の球団で、プロの道が開かれた。
18年の1年目には7月下旬に支配下登録を勝ち取り、日本一メンバーとなった。オフのハワイ旅行で、両親は球団スタッフから次々と「大竹君ほど努力していた選手はいませんよ」と声をかけられたことがうれしかったそうだ。大竹が一切の後悔がないように、家族もあの時、プロ入りに背中を押した選択は正しかったと感じている。