【阪神ドラフト選手特集・百崎蒼生内野手(1)】「ピッチャーやるとすぐいらいら」負けん気満点幼少期
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。今回はドラフト4位・百崎蒼生内野手(18)=東海大熊本星翔=の第1回。
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野球が大好きで、カープファンだった父・大輔さんの影響で自然と野球に引かれた。大輔さんは百崎が5歳の時に亡くなったが、2歳頃から、熊本から父に連れられ、マツダスタジアムでプロ野球に触れた。家の前で父と叔父がキャッチボールをしている様子を「楽しそうだな」と眺めることもあった。母・真由美さん(48)は「体を動かすのが好きだった」と振り返る。
しかし保育園の頃に始めさせたのはサッカー。野球はずっとやりたかったが、隈府小学校で部活動が開始する3年生から始めた。軟式野球部に所属し、半年はサッカーと並行して続けたが、サッカーのクラブチームが解散したため、野球一本に。始めた頃からすでにプロも志していた。
とにかく負けん気が強かった。当時は投手と遊撃手だったが「ピッチャーをやるとすぐいらいらするから、『もうちょっと抑えなさい』とよく言いました」と真由美さん。毎年開催されていた小学校のマラソン大会では、1年生の時は10位だったが、年々順位を上げ、6年生ではついに1位を勝ち取った。
野球でも小学生の頃から努力家だった。試合でうまくいかなかった日には、母にバッティングセンターに連れて行ってもらい自主練。1ゲーム25球を7~10ゲーム、とにかく数を打ち込んだ。
高校通算39本塁打のスラッガーは当時からその片りんを見せ始めていた。「一番活躍できるし、かっこいいから、ホームランを打ちたいっていうのが強かった」と百崎。その思いをさらに強くさせたのが小学6年時の県大会だ。決勝でそれまで勝ったことのなかったチームと対戦し、初めて柵越えホームランを放って優勝。「『こんな感じか~』って気持ちよかった。そこからホームランにもこだわるようになった」と振り返る。
中学からは「強いチームに行きたい」と硬式野球チームの熊本泗水ボーイズに入団。憧れる存在に出会った。大阪桐蔭で主将を務め、青学大に進んだ1学年先輩の星子天真だ。「飛ばす力がずばぬけてて驚いた」と百崎。キャプテンを務めていた星子は練習量も人一倍。その姿勢にも刺激を受け、背中を追った。
「百崎は努力量が他の子と違った」と松崎秀昭監督(57)。練習がない日には神社の階段をダッシュ。「1年目の冬を越えてから体つきが変わった」と松崎監督も目を丸くするほど、トレーニングにも励んだ。他の選手が星子からキャプテンを引き継ぐ予定だったが、「実力もずばぬけて、考え方も“星子イズム”を受け継いでいた」と松崎監督が百崎を推薦。3年生では4番、投手、そしてキャプテンとしてチームを引っ張った。
そして中学の卒業式の時にはクラスメートの前でこう宣言した。「甲子園でホームラン打ちます!」。プロ野球選手になるため、まず目指した甲子園。ただ、その情熱も一度はついえることとなる。
【百崎蒼生(ももさき・あおい)アラカルト】
◆生まれ 2005年9月11日生まれの18歳。熊本県出身
◆サイズなど 178センチ、77キロ。右投げ右打ち。内野手
◆家族構成 母、妹
◆球歴 隈府小3年時から野球を始め、菊池南中時代は熊本泗水ボーイズで主将。東海大相模では1年春からメンバー入りを果たすも、2年春から東海大熊本星翔に転入。高野連の規定により3年夏から公式戦デビューし、夏の甲子園出場に貢献。高校通算39本塁打。
◆足 50メートル走5秒9
◆遠投 100メートル
◆座右の銘 頑張る時はいつも今
◆趣味 ダーツ、ビリヤード、温泉
◆好きな食べ物 寿司
◆好きな芸能人 小池栄子