【とらものがたり・木浪聖也内野手編(3)】「無理だ」「手の届かない存在」だった高校時代のライバル2人
18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一に貢献した虎戦士の野球人生に迫る新企画「とらものがたり」。大竹、村上に続く3人目は、木浪聖也内野手(29)が登場する。プロ5年目の今季は「恐怖の8番」として花を咲かせた。第3回はライバル。
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格上の背中を追い続けた高校時代が、木浪の成長を後押しした。青森山田中から進学した青森山田高では現DeNA・京田と同級生。遊撃のポジションを狙って入学したが、すぐさま抜群の野球センスに圧倒された。
入部前に膝の手術を受け、スタートで出遅れた。一方、京田は1年春からいきなり正遊撃手の座に君臨。「その時点で、もうショートは無理だなってなりましたね」と勝負が始まる以前に実力の差を痛感した。任されたのは二、三塁と遊撃以外のポジション。「(京田は)誰よりも練習もしていたので、どこまで行くんだろうって感じでした」と見上げる存在となっていった。
県内に君臨した絶対王者の中にもスターがいた。後に阪神で同僚となる同学年の北條が光星学院(現・八戸学院光星)に所属。当時は甲子園で3季連続準優勝を成し遂げた全国屈指の強豪であり、北條は4番を務めていた。
「ジョー(北條)は4番ショートで。本当に手の届かない存在でした」
高3夏の県大会3回戦では光星学院と戦うも、延長10回の末に6-8で敗戦。眼前で北條が本塁打を放ち、格の違いを見せつけられた。「やっぱりなんか違うと思いました」。その後、亜大を経て社会人野球のHondaでプレーしていた頃には2016年に中日ドラフト2位で入団した京田が新人王、阪神では北條がレギュラー候補として頭角を現し始めていた。
同学年2人の活躍は当然、刺激となった。ただ、「人のことは気にしなかったですね。社会人の時はとにかく野球をやるのが楽しかった」と夢中で白球を追った。その頃には青森山田高、亜大でバットを振り込んで培った地力が開花。「全部小手先でやっていたバッティングが変わった」と高校、大学通算0本塁打から一変、社会人通算2年で2桁本塁打を記録。強打の遊撃手となり、プロへの道を開いた。
くしくも阪神で北條とはチームメートとなり、同じ内野手のライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)することに。「一緒にやることになって、ようやくここまできたんだなっていう感覚はありました」。地道な努力で、一度は手の届かないと思った存在に肩を並べた。
◆木浪 聖也(きなみ・せいや)1994年6月15日生まれ、29歳。青森県出身。179センチ、81キロ。青森山田、亜大、ホンダを経て18年度ドラフト3位で阪神入団。23年は遊撃のレギュラーを勝ち取りリーグ優勝と日本一に貢献。ベストナインとゴールデングラブ賞に選出された。