阪神ドラ1下村 1・17の誓い「元気や明るさ届ける」 地元西宮出身の使命「忘れてはいけないこと」

 ノックを受けて送球する下村(撮影・立川洋一郎)
 阪神・淡路大震災の犠牲者へ黙とうを捧げる下村(中央)ら新人選手たち
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 阪神・淡路大震災から29年となった17日、阪神・粟井一夫球団社長、和田豊2軍監督ら首脳陣、選手、職員約50人が、練習前に鳴尾浜球場で黙とうを捧げた。西宮市出身のドラフト1位・下村海翔投手(21)=青学大=はまだ生まれていなかったが、両親が被災。小、中学生の時、学校の授業で学ぶ機会も何度もあった。1日に発生した能登半島地震にも触れ、プロ野球選手として元気や明るさを届けていくことを誓った。

 球団旗が半旗で掲げられたグラウンドで、下村はそっと目を閉じた。3月に22歳を迎える下村は、当時の状況を目の当たりにはしていない。それでも中学時代までを西宮で過ごしてきただけに特別な思いを感じていた。

 「西宮市出身ということもあって、阪神・淡路大震災はずっと受け継がれてきたというか、忘れてはいけないことだと学んできている。そういったところを再認識しながら、震災によって被害を受けた方々へのことを思いながら黙とうしました」

 両親は阪神・淡路大震災を実際に経験。「どんな感じだった?」と幼い頃から下村自身も興味を持ち、両親から当時の状況を伝え聞いてきた。母・展子さん(50)からは「たんすのものが倒れたりとか、つっている電気がぐるんぐるん回って。もういつちぎれて飛んでいくかわからない状況だった。すごい怖い思いをした」という実体験を伝えられ、消防士の父・毅さん(53)からは、被災地に救助に行った時の話も聞いた。平和な毎日からは想像できないような光景。家族の口から伝えられたからこそ感じる部分も大きかった。

 小学校、中学校では授業でも震災について勉強。被災した人が講師となって話を聞くこともあった。特に衝撃を受けたのは当時の映像や写真。下村の知っている西宮ではなかった。「自分が生まれてからはすごい奇麗な街だなと感じてたので。当時の写真や映像を見ていると今住んでる西宮市が今と全然違う姿、ひどい姿だった」

 自身は経験していなくても、幼い頃から伝え聞いてきたことが胸に刻まれていた。1日には能登半島地震が発生。下村はその被災者への思いも込め、決意を新たにした。

 「能登の方でも地震があったり、苦労をされている方もたくさんいると思うんですけど、プロ野球選手として少しでも元気や明るさを届けられたらいいなと思って頑張っています」。活躍する姿を見せ、一人でも多くの人を笑顔にしていく。

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