“火の玉投手”若生智男さん死去 「とにかく練習熱心。穏やかで誰からも慕われていた」 藤田平氏が悼む 

 大毎(現ロッテ)、阪神、広島で通算121勝を挙げ、多くの球団で投手コーチを務めた、デイリースポーツ評論家の若生智男さんが3日、肝臓がんのため千葉県船橋市内の病院で死去した。87歳。同評論家の藤田平氏が悼んだ。

  ◇  ◇

 とても穏やかで、誰からも慕われていた。愛妻家で、夫人はオリオンズ時代に知り合った場内アナウンスをされていた方だった。タイガース時代には、よく仲間から場内アナウンスの声色をまねして『ピッチャー、若生』と呼ばれていてね。照れくさそうにされていた姿を思い出す。息子さんは東大出身。野球はもちろん、家族も大切にされていた方だった。

 私が新人だった1966年は、若生さんが阪神での3シーズン目。上背があってガッチリとした大きく見える体を生かした投球フォーム。ストレートが速く『火の玉』とも言われていた。普段の穏やかな雰囲気とうって変わった相手打者との真っ向勝負は観客を沸かせていた。

 村山実さん、66年度第1次ドラフト1位で入団した江夏豊、そしてバッキーとの4本柱で投手陣を形成した。69年には、若生さんと一緒に私もオールスターに出場。そして試合以外では、とにかく練習熱心だった。

 グラウンドでランニングなどを黙々と取り組んでいたことが印象深い。コツコツと努力を積み重ねる姿勢は、当時の若手選手に良い影響を与えていた。そういった一面も人望の厚さにつながっていたと思う。

 現役を引退されてからは後進の育成に尽力されて、阪神などでコーチを務められた。村山さんからかわいがられて、村山さんが監督をされた88年からの2シーズンで1軍投手コーチ。高い人間性と理論的な指導でチームのために懸命だった。

 人柄が良く、私たち後輩にも優しく声をかけてくれた大先輩だった。心よりご冥福をお祈りします。

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