阪神・岡田監督の盟友 ヤクルト・小川GMが明かした思い出 原巨人前監督と3人で監督をやれたことが誇り
ヤクルト・小川淳司GM(66)が、盟友の阪神・岡田彰布監督(66)との数々の思い出を明かした。日米大学野球で初めて言葉を交わしてから40年超が経過。立場を変えながらも同じ野球界で戦い続ける二人の関係に迫る。明かされた素顔とは-。
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岡田監督がどんな人かって?どんな人って言われても、私もそこまで深くを知っているわけじゃないよ。会話も野球の話以外はそんなにしないからね。
初めて会ったのは高校かな。2年生の頃、関西遠征に行った時に北陽高校で2試合やった。別に話をするわけでもなくて、会話したのは大学生になってから。日米大学野球で一緒になって、宿舎に雑魚寝で泊まった時だよ。(クリーンアップを組んだ)巨人・原前監督、岡田監督、私と3人で飯を食いに行ったね。何でか知らないけど、払ったのは私だから。おかしいだろう(笑)。
大学時代からそういう縁があったのは事実で、現役時代もかぶっているけど、向こうはスーパースターだった。監督として再会したのは2010年5月29日のオリックス戦。(高田監督が引責辞任して)監督代行になって、確か京セラドームだったと思う。最初の試合に(11-4で)勝って、チームの連敗が9で止まった。監督代行としての初勝利だよ。そうしたら、翌日に岡田監督がわざわざ「おめでとう」と言ってくれた。それが監督として初めて対戦した時の思い出かな。
あと岡田監督と言えば、2010年のドラフトだよ。私も2回抽選に外れて、岡田監督も外れた。3度目の山田哲人が競合して、一緒に壇上でくじを引くことになったんだよ。結果的にヤクルトが交渉権を獲得して、岡田監督は後藤駿太(現中日)を指名したんだけど、翌年の春のキャンプだったか。顔を合わせた時に、「駿太ってのはいい選手だぞ」って私に言ってきたの。山田を外したことは一切触れずに、な。何て言うのかな。そういう部分でも負けず嫌い。多分に感じた出来事だったよ。
岡田野球か。現役時代に記録として残してきたものが、後の評論家活動や監督になった時の考え方につながっているんだなって思ったのが2008年かな。当時高田監督の下、私はヘッドコーチでいて、1年間に148盗塁した年があるんだけどね。阪神の監督を終えた翌年の2009年、前年から他球団が要警戒してくる中で岡田監督だけが「もう絶対に走ってこない」と断言していた。
評論家の立場で言っていたのかはわからないけど、冷静にこと細かく見る力、分析力。監督をやる上において自分の中の考え方だったり、相手を見ることが戦略を立てていくことにつながっているのかなと、私は勝手ながらに思っていたよ。
岡田監督が評論家時代から飯食いに行ったり、スタンドで話したり、周りからもいろんな話を聞くと、やっぱり寂しがり屋だっていうね(笑)。でも結局、監督っていうのは孤独。やむを得ないんじゃないかなと思う。大学ジャパンのクリーンアップ3人で雑誌の表紙になった写真があるんだけど、岡田監督と原前監督…私も含めてみんなそろって監督をやれたこと。その写真が私の唯一の自慢、誇りだよ。
◆小川 淳司(おがわ・じゅんじ)1957年8月30日生まれ、66歳。千葉県出身。現役時代は右投げ右打ちの外野手。習志野高から中大、河合楽器を経て、81年度ドラフト4位でヤクルト入団。92年に日本ハム移籍後、同年現役引退。96年からヤクルトに復帰してヘッドコーチなどを歴任。10年からの5シーズンと18年からの2シーズンで1軍監督。19年オフにGM就任。