99年度阪神ドラ1入団、的場寛一氏「藤川監督の聡明さなら思い描くゴールに到達する」
藤川球児新監督の1年後、1999年度のドラフト1位で阪神に入団したのが、大型内野手として期待を集めた的場寛一氏(47)。入団後はともに2軍で実力を磨く中で、自然と親交が深まった。現在は実業家、タレント、独立リーグチームのコーチなど多岐にわたって活動している的場氏は、球児監督の素養に“太鼓判”を押した。
入団1年目、春季キャンプ前の球団行事で初対面し、席が隣同士であいさつしたという的場氏。「私が九州共立大出身だったので、彼と同学年だった新垣渚(後にダイエーにドラフト1位入団)のことが気になっていたようで、『新垣ってどうですか?やっぱり良いですか?』って聞かれました。同世代へは相当意識しているように感じましたし、負けず嫌いなんだなという印象を持ちました」と振り返った。
人間・藤川球児に関しては「『明朗快活』という言葉が合うのではないでしょうか。弁が立ちますし、周りを巻き込む力は当初からあったのかなと思います」と説明。「人間味もあり、気遣い屋さんなところもあるので先輩からも可愛がられている印象がありますね」という。
一方で、入団後は肩の痛みに苦しみ、苦労してリハビリに取り組んでいる姿も目にした。的場氏も故障には苦しんだだけに「その時は『どっちが故障者リストから早く外れるか勝負や!』みたいなことも言い合ってましたね」と懐かしそうに語った。
球児監督が一気にブレークした際には、山口高志投手コーチによる既成概念にとらわれない指導に感謝していたことが印象に残っており、「改めて、『今を疑え』ということを思い知らされましたね」と的場氏。また「メジャーから戻ってきて、阪神タイガースでオールスター戦に選ばれた時、私がスポーツブランドに勤めていて、選手ロッカーで久々に会うことができたんですが、外国人選手とコミュニケーションを取っていて、英語がペラペラでした。その姿には驚きましたね。昔は土佐弁しか話せなかったのに」と笑った。
監督としての素養についても「彼のプレースタイルからでも分かるように、ゲーム状況(点差、イニング、カウント、打順、環境など)に応じた対策を選手にコーチングすることも出来ますし、球児の聡明さをもってすればトライ&エラーを繰り返して、思い描くゴールに到達するのではないでしょうか」と太鼓判。「最終的には、理想の指導者、理想の上司にランクインしてほしいですね」と期待を込めた。
◆的場 寛一(まとば・かんいち)1977年6月17日生まれ、47歳。兵庫県尼崎市出身。現役時代は右投げ右打ちの内、外野手。九州共立大から99年度ドラフト1位(逆指名)で阪神入団。05年に戦力外通告を受け、06年からトヨタ自動車でプレー。12年に現役引退。現在は「くつろぎカンパニー株式会社」代表取締役としてエステやアスリート支援に取り組む傍ら、北海道FL・石狩のコーチやタレントとしての活動を行う。