第1次岡田政権、球界一のクローザーに上り詰めた阪神・藤川新監督が帰ってきた 山本浩之アナウンサー
V奪還を目指す阪神・藤川球児新監督(44)への期待を示す企画「球児虎にエール」。今回は元カンテレ(関西テレビ)でフリーの山本浩之アナウンサー(62)がエールを送った。
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岡田監督退任のニュースはクライマックスシリーズの前というタイミングだっただけに驚いた。こんな大事な時期になぜ騒ぎ立てねばならないのか。『まだ何も決まってません』と阪神球団が押し通してくれれば、シーズン終了まで余計なことを考えずに済んだ。『モチベーション?お~ん。皆下がるやろ、そんなもん』。敗軍の将兵を語らず…。静かにユニホームを脱いだ岡田監督だが、内心そう思っているのではなかろうか。
この特別寄稿は、新監督藤川球児に対するものである。なぜ筋違いの不満をと受け取られそうだが、話を続ける。藤川とはメジャーに挑戦する前に一度だけ酒を酌み交わしたが、自分の考えを相手に伝える時の話しぶりは、まるで火の玉ストレートを見ているように気持ち良かったのを覚えている。
ドラフト1位で入団するも下積みやケガで若い頃は苦労の連続。2003年には戦力外候補に挙げられたが、リストから名前を消してくれたのがこの年から采配を振った岡田彰布である。第1次岡田政権時、『右腕一本で生きること』をはっきり認識した藤川は、球界一のクローザーにまで上り詰めた。
シビれるような場面で登板したとき、藤川は戦国時代の侍が刀ややりを振り回す場面を思い浮かべていた。やるか、やられるか。切り倒したらまた次の相手が現れて、命のやりとりが始まる。戦い終えてキャッチャーと肩をたたき合った瞬間「どうやら今日も切られずに済んだ」とそんな感覚だったという。
07年シーズン終盤。チームは優勝争いの真っただ中にあった。周囲の心配をよそに連投を続け、さらに投げると主張する藤川を岡田だけがマウンドに送ることを主張する。「休んだらゼロや。ゼロではなんの評価にもならんのが、この世界と違うんか」。みんなそれぞれの立場で最善を尽くしていたと藤川は振り返る。
岡田のもとでさまざまな経験を積み、死に物狂いで投げ続けた藤川が監督として帰ってきたのだ。メディアも球団も、そこはしっかりと心得るべきだろう。=敬称略=
◆山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。