【阪神ドラフト選手特集・伊原陵人(中)】最も「人間的に成長できた」大商大でドラフト指名漏れ、“挫折”がドラ1への道筋に
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回はドラフト1位の伊原陵人投手(24)=NTT西日本=で、智弁学園、大商大時代を振り返る。
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高校は野球の名門・智弁学園へ進んだ。伊原は入学当時、自身も認めるほどの「てんぐ」状態。だが、野球部ではレベルの高さに圧倒された。中学まで軟式だったため硬球に慣れることにも苦労する。1年時はストライクが入らず環境の変化に慣れることにも必死だったが、その年の冬から才能が開花し始めた。
「一番きつかった」のは米の食トレだ。朝は大サイズの茶わん3杯。昼は通常サイズのお弁当だが、練習開始時には間食として3リットルのタッパーを食べ切る。夜は大サイズの茶わん3杯と、夜食に3リットルのタッパーとハードな食トレに取り組んだ。入部当初、約53キロだった体重は3年時は68キロに。味方の失策に対してすぐに顔に出るタイプだったが、小坂監督からの叱咤(しった)で心身ともに、エースとしての自覚も備わっていった。
最も「人間的に成長できた」のは大商大の富山監督との出会いだった。高校2年の時、智弁学園のグラウンドに富山監督が訪れた。「『来るやろ?決まりな』みたいな感じでパッと握手して」。他大学の監督は足を運んでくれたことがなかっただけに、熱意が進学の決め手となった。
伊原は大学ではまず礼儀作法を伝えられた。「溺れたら自分で泳げ」などといった方針の下、徹底して“当たり前”をたたき込まれた。「気持ちの面や、負けん気の強さも。いつでも絶対に(マウンドに)行くっていうところだったり」と内面の成長を実感した。
富山監督は数多くの選手をプロへ送り出している名将。初めて伊原の球を見た印象は「普通。スピードガンより、手元で球が伸びるイメージ」と、投手としての特別感はなかったという。それゆえ魅力を感じたのは「臨機応変にできる勝負勘」だった。
中継ぎとしてブルペンに待機していた伊原は、どんな展開でも自ら登板を志願。結果の有無にかかわらず、あらゆる場面に対応する姿を見せた。「信頼はないけど、たくましい」と富山監督は振り返る。積極的な姿勢を見せ続け、「こいつが行ったら絶対勝つ」と4年生で信頼を勝ち取った。
それでも悲願への道のりは遠かった。大学4年時の22年はプロ志望届を提出。複数球団から調査書が届いたが、ドラフト会議では指名漏れ。「絶対に行けるという自信を持っていたわけではなかった」。あふれる涙と周囲への申し訳なさが募った。
両親は何も言わず伊原の肩をたたいて見守った。富山監督からは「ここで野球が終わりじゃない。もっと頑張ればええだけ」と声をかけられた。自身ともう一度向き合い、NTT西日本へと進むことを決意。指名漏れという“挫折”がドラ1への道筋となる。
◆伊原 陵人(いはら・たかと)2000年8月7日生まれ、24歳。奈良県出身。170センチ、77キロ。左投げ左打ち。投手。智弁学園、大商大、NTT西日本を経て24年度ドラフトで阪神から1位指名。直球の最速149キロ。球種はカットボール、スライダー、フォーク、カーブ、ツーシーム。趣味はアニメを見ること。