【阪神ドラフト選手特集・木下里都(中)】「どんなにキツくてもニコニコ」高校時代から変わらない笑顔のプレースタイル
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回はドラフト3位・木下里都投手(23)=KMGホールディングス=が、身体能力を生かして遊撃手としてプレーした福岡舞鶴時代について紹介する。
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一般受験で福岡舞鶴に進学した木下。野球部の福田一監督(54)は初対面の印象を、「そこまで今みたいに抜けた存在ではなかったですね」と回想する。軟式の「白龍ベースボールクラブ」出身で目立つ新入生ではなかったが、「素材型の選手」として身体能力の高さを感じ、内野手としてプレーさせた。
「アグレッシブな野球をやりたいと思った時、これ以上ない1番バッターだったんですね。足が速くて、パンチ力があって、ショートで180センチあって、肩が強いっていうのは、やっぱり野手にしたいなと」。指導方針であるウエートトレーニングの強化が奏功。「筋力がついて体つきがよくなって、パフォーマンスが変わっていきました」と振り返るように、2年で遊撃のレギュラーにまで成長した。
福田監督が重ねたイメージは、「足の速い坂本勇人」。2年夏の大会では「1番で出塁すると、1球目から走って盗塁を難なく決めて。それで相手がバタバタしてました」と、俊足巧打でチームの勝利に貢献した。福岡大大濠との4回戦では、後にDeNAに入団する三浦銀二から2安打を放ったが、チームは敗退した。
性格的にキャプテンを担うタイプではなく、どちらかと言えばムードメーカーだった。「どんなにキツくてもニコニコと野球を楽しんでるような感じでした。彼なりの楽しみ方があるようで」。ドラフト指名後、木下が自身の特徴に挙げた笑顔のプレースタイルは、高校時代から変わらない。
3年時には投手として公式戦にも登板した。「ブルペンで放らせたら、144キロくらいポーンと出しましたし。それくらい投げることに対しても素晴らしいものがありましたね」。3年夏の大会は初戦敗退だったが、先発投手が先制を許した後にリリーフとしてマウンドに上がって、4回無失点。“才能の片りん”をのぞかせた。
福岡大進学からほどなくして、木下は内野手から投手に転向。福田監督は「ガックリしました!!我慢して、ショートで使ったのに」と笑いながら当時の心境を述懐するが、「でも、それが正解だったんでしょう」。身体能力にほれ込んでいた教え子はやがて、福岡舞鶴卒業生としては初のプロ野球選手となった。
◆木下 里都(きのした・りと)2001年1月27日生まれ、福岡県出身。183センチ、90キロ。右投げ右打ち。投手。最速156キロ。変化球はカットボール、ツーシーム、カーブ。小学1年で野球を始める。福岡舞鶴では主に遊撃手で、福岡大1年夏から投手転向。卒業後、KMGホールディングスに進み、阪神からドラフト3位指名を受ける。好きな歌手はback number。特技は習字。趣味は釣り。