【阪神ドラフト選手特集・早川太貴】目と鼻の先エスコンに「選手として入りたい」公務員からプロ入り
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回は育成ドラフト3位・早川太貴投手(24)=くふうハヤテ。野球人生に大きな影響を与えた高校時代の挫折や社会人時代に芽生えたプロへの思いなどを振り返る。
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早川にとって「一番の挫折」だった。「やりきれなかった」という高校時代の経験があったからこそ、ここまで野球を続けてこられた。
大麻高2年夏の南北海道大会。「エースではなかった」というが、お世話になった大好きな3年生の最後の大会で先発を任された。投球の調子は良くなかったが、何とか札幌地区予選の1回戦は勝ちきった。同2回戦。「全然ダメで。序盤から試合が決まってしまうような点の取られ方をしてしまって」。恩返しが実らず悔しい敗戦となった。
学年が上がり、より気合が入る中で、3年春の札幌地区予選中に右肘を疲労骨折。レントゲンでも完治の判断は難しい。「治ったと思って投げたらまだ多分完治していなくて」。夏の大会3週間前の練習試合。登板中に「バキッ」と音が聞こえた。病院へ向かう車中で早川は涙を流し続けた。
父・義美さん(63)は「あの時の涙は忘れないですね。もう黙って見ているしかなかった」と憔悴(しょうすい)した息子の姿を見守ることしかできなかったという。春と同じ箇所を今度は骨折。「全道大会を目標にしてみんなで頑張っていた中でケガしちゃったので、悔しかったし申し訳なかった」。2年間晴らせなかった悔しさが早川の野球への思いに火を付けた。
小樽商大で野球部に入部。鈴木監督との出会いがプロへの道をより近づけた。「僕より僕を評価して背中を押し続けてくれていた」。ウエートトレを取り入れるなど考えながら取り組んだ4年間で、入学時132キロだった球速は4年で147キロに。その姿を見ていた監督から「まだ上でできる」と後押しされ、社会人でも続けることを決意した。
元々興味がないことは続かない。北広島市役所は「いろんな経験ができる」と就職した。車で約10分の距離にはエスコンフィールド北海道。軟式チームとウイン北広島での“二刀流”だった早川は、目と鼻の先にある球場を見て「プロに行きたい思いが芽生えてきた。(エスコンに)選手として入りたい」。昨秋くふうハヤテのトライアウトに合格し、静岡へと向かった。
先発、中継ぎを経験したNPBとの対戦では「気持ちの切り替え」を学んだ。大事な公式戦で毎週、毎日投げる初めての経験。その日の反省を「ずるずる引きずっていたら結果が出ない状況が続くなって。そこダメだった」。1年で大きく成長したメンタル面を「来年タイガースに入って、一番生かしていける部分」と力強く話した。
幼い頃から自他ともに認める負けず嫌いな性格の早川。高校での悔しい経験を糧に、真摯(しんし)に野球に取り組んできたことがプロの道へとつながった。ここから新たに続く野球人生で、さらに高みを目指していく。
【早川太貴(はやかわ・だいき)アラカルト】
◆生まれ 1999年12月18日生まれ。北海道江別市出身
◆家族 両親、弟
◆サイズ 185センチ、95キロ
◆血液型 O
◆投打 右投げ右打ち、投手、最速151キロ
◆球歴 小学3年から東大麻グランドキングスで野球を始める。北海道大麻を経て小樽商大に進学。卒業後は北広島市役所に勤務しながら、ウイン北広島でプレー。今季はトライアウトでくふうハヤテに入団し、25試合4勝7敗、防御率3.22
◆遠投 110メートル
◆好きな食べ物 焼き肉
◆大学時代のアルバイト ビデオ屋さん
◆性格 負けず嫌い、真面目、飽きっぽい
◆幼少期 ミニカー好き