阪神・岡田顧問「吉田さんは球団一番の功労者」「『守りで攻めろ』と言われたのは初めてでした」【弔辞全文】

 献花する岡田オーナー付顧問
弔辞を述べる阪神・岡田彰布オーナー付顧問=大阪市内
弔辞を述べる阪神・岡田彰布オーナー付顧問=大阪市内
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 2月3日に脳梗塞のため、91歳で亡くなった阪神の元監督・吉田義男さんの「お別れの会」が25日、大阪市内で行われ、約550人が出席した。第1部では藤川監督をはじめ、1軍帯同の選手、コーチ陣、スタッフが献花。第2部では球団OBや関係者らが献花し、岡田彰布オーナー付顧問(67)が感謝と笑いの弔辞で大恩人と惜別した。以下、全文。

  ◇  ◇

 監督、大事なときに声出ないんです。ちょっと体調壊して、本当はもっとたくさん語りたかったんですけど、ちょっと聞きづらいかも分かりませんけど、監督聞いてください。

 また一緒にゴルフや食事に行けると思っていたのに、このたびの突然の訃報が今なお信じられません。悲しくさみしい思いでいっぱいです。

 私が吉田さんと初めて同じチームになったのは、2度目の監督に復帰された1985年のシーズンでした。シーズンオフに吉田さんから「二塁いけるか?」と。外野でずっと過ごしていた自分が聞かれたときは即答で、「行けます」と返事すると、セカンドへのコンバートを即断してくれました。

 その後の高知安芸のキャンプでは日が落ちるまで想像を絶するほどのハードなノックで鍛えられ、二遊間コンビを組んだ平田とともにディフェンスの大切さを徹底的にたたき込まれました。野球をやってて「守りで攻めろ」と言われたのは吉田さんが初めてでした。

 これらの吉田さんのご指導のおかげで、その年個人としては打率、本塁打、打点ともにキャリアハイとなる成績を残すことができ、私にとってはプロ野球人生の転機となるとともに、チームとしても21年ぶりのリーグ優勝、そして球団創立50周年の節目の年に初の日本一を達成することができました。

 また、3度目に復帰された1998年には、現役を引退してオリックスの2軍助監督兼打撃コーチをしていた私を、阪神タイガースファーム打撃コーチとして呼び戻していただき、今度は監督とコーチという立場で、いろいろまた野球の勉強をさせていただきました。

 今年阪神タイガースは創立90周年を迎えます。その長い歴史の中で日本一を成し遂げたのはこれまで2回しかない中、吉田さんは初めて日本一を成し遂げた当時唯一の監督です。

 さらに2023年、吉田さんが成し遂げていた2度目となる日本一を、私が監督として成し遂げることができたのは、当たり前のことを当たり前にやるという吉田イズムを学ばせていただいたおかげです。阪神タイガースに日本一の強さを注入してくれた吉田さんは球団一番の功労者であり、私にとっていくら感謝してもしきれない大恩人です。

 ひとつ、今でも話の食い違いがあります。巨人戦での江川からのバント談議です。「俺は絶対にバントのサインを出していない」と今でもこだわっていた吉田さん。本当はバントのサイン出てましたよ。3球目までバントのサインでした。1ストライク2ボールになったらエンドランに変わるかなと思ってたら、本当にエンドランのサインが出ました。案の定、レフトスタンドにホームランを打って、その試合勝ちましたよ。アレが最初で最後のバントのサインでした。コレが本当の真実です。

 伝統球団である阪神タイガースが、これからもずっとファンに愛される強いチームであり続けるためには、時代が変わっても世代が変わってもなお吉田イズムをチームに、そして若い世代に継続し続けなければならず、それが私の果たすべき役割だと思ってます。その姿をどうか温かく見守ってください。

 吉田さん、本当に今までありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

 令和7年3月25日、阪神タイガースオーナー付顧問岡田彰布

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