「阪急タイガース」

 投資家・村上世彰(よしあき)の狙い撃ちに翻弄(ほんろう)され、阪急・阪神ホールディングスが発足した。早いもので9年となった。あの騒動の中、虎のオーナー宮崎恒彰と近々のうちに宮崎の後任になる坂井信也の二人が阪急社長の角(すみ)和夫(いずれも当時)を訪ね、1枚の書類を手渡した。

 覚書といえばいいのか、念書といえばいいのか。「阪急は野球については関わらない」。そして「球団名は阪神タイガースで」。この2点が書かれていた。

 ふり返れば、阪急・阪神経営統合劇は村上ファンドと阪急が悪党で、阪神が気の毒な悲劇の被害者のような印象が強かったが、実をいえばまったくの逆で、村上は優良な阪神株を売り「儲けたかった」だけであり、阪急は窮地に陥っていた阪神に救いの手を伸ばした。そういうことである。

 要は阪神電鉄経営陣のガードが甘かった。極めて無防備だったわけで、慌てた頃には村上ファンドは電鉄株の47・5%を手に入れていた。ここまで買われて、手を打てなかった。この脇の甘さはまるで経営者失格といわれた。

 村上は「儲けたかった」から電鉄株を食い漁ったのは事実にしても、それだけではない夢があったとマスコミは書いた。夢?この刺激的な投資家の夢はカネ儲け以外になにがあるのか。彼は電鉄そのものはカネ儲けの対象だけ。実際は電鉄をものにして子会社のタイガースを思う存分、己の意のままにしたかった。彼に近い筋に聞いたら「当たらずとも遠からじ」と真面目な顔でそう言っていた。

 村上世彰は台湾人の父親と日本人の母親のハーフ。大阪で生まれ、商いに長けた華僑の父親の背中から教育を受け、若い頃からカネ儲けを身につけた。まさに親の子である。阪神電車で灘高へ通学し、車中から甲子園球場を窓に顔をくっつけてみた。いつの間にか猛烈な阪神タイガースファンのひとりとなった。タイガースの5文字が彼の頭に刷り込められた。

 小柄だったから選手にはなれぬ。ならどうする?球団を買えばいい。買えるのか?「カネがいる。ならカネを儲けたる」。灘からお決まりのように東大(法学部卒)へ進み、今の経産省へ。アフリカ日本大使館1等書記などを経て投資家に独立した。「勝つ」ことにおいて活力が並みでなかった。

 いよいよタイガースをものにできる準備は万端、整った。夢実現へ。そして阪神を食いつぶした彼は直後、別件で証券取引法違反(インサイダー取引)で逮捕され表舞台から消えた。

あとに何が残ったのか。

 いつに歴史的な阪神電鉄の経営陣の、空気を読めない稚拙さ。鍛えられていないための脆(もろ)さ。平たく言えば「阪神の弱点」を世に知らしめた阪神の屈辱と阪神ファンの挫折感が残った。

 冒頭では阪神を救った阪急と書いたが、この支配者は甘くない。阪急は3000億近いカネを使い阪神を「完全子会社化」した。支配する者とされる者。当然のことながら主従関係を際立たせた。阪神のお宝(球団、百貨店、土地、不動産など)を有効利用しながら、出る釘は打つ。人情を優先しなかった。阪神経営者とは土性骨が違う。

 「阪神タイガース」を「阪急タイガース」に替えることは容易(たやす)い。だが「阪神」を「阪急」にかえてしまうと、大阪の熱気を喪失することなど阪急トップはとっくに知悉(ちしつ)している。愚鈍ではないから、世の中の感情が読める。

 支配者・阪急の経営陣が熱狂的な阪神ファンと喧嘩するのか?それともいつの日か、「阪急タイガース」と打ってでてくるのか?さあ、結論はどうなんだろう。(敬称略)

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