巨人コンプレックス
江戸対上方。日本のプロ野球を産み、育てた読売(新聞)はうまい構図を編み出した。東と西の衝突は昔から客を呼ぶ。考えてのことか、偶然の結果かはわからない。だが、はっきりとした思惑もみえる。「生かさず、殺さず」。好敵手の戦力の底上げをのぞみながら、巨人を超えさせない。いい試合をして最後は勝つ。興行の常識とはいえ、俺に逆らうなとばかりに読売は好き放題をした。
強烈な例でいえば、南海ホークスのエース別所毅彦を強奪するわ、南海入団を99%決めていた立教大の長嶋茂雄をかっさらうわ、江川卓で懲りたろうに、それでも高橋由伸や元木大介も原辰徳の甥っ子菅野智之でも似たような手口で奪い取った。よその4番打者やエース級もつまみ食いする。全てがカネにあかせての所業である。
日本の野球はジャイアンツの発展があって、成り立ってきたんだよ、それくらいわかってんだろ、という読売関係者の顔が目に浮かぶ。
ごもっともです-とぺこぺこする一番手が阪神タイガースと、ここは言わざるをえない。
巨人が来れば甲子園球場が5万観衆(リニューアル前)で埋まる。テレビ局は全国ネットで1試合1億円(不景気で今は半減)の放送権料をくれる。3連戦でチケット代金も、場内の食べ物の売上げ、グッズも合わせるとざっと5億円の収入になる。昔は他のカードが閑古鳥も鳴くからトータルで大儲けにはならなくても、巨人戦のおかげで赤字にはならぬ。赤字にならなければそれでよしとした虎の親の阪神電鉄は満足とした。要は甲子園球場まで電車で来てくれれば、電鉄も儲かる。巨人さまさま。
「だから読売と喧嘩するな」「逆らうな」と折にふれ、電鉄本社は球団幹部に釘を指した。悲しいかな、阪神の歴史的な巨人コンプレックスの原点はいつにここから始まっているのである。
振り返れば、もし、読売があくどいまでの悪知恵でチームを強化せず、阪神と似たりよったりのレベルの球団にしていたら…興行としてはあの時代の流れはつくれていなかったろう。何より長嶋茂雄抜きのジャイアンツではプロ野球界の隆盛はあり得なかったように思う。巨人が悪さを重ねたのをよし、とはいえないが、ある意味、必然だったのかもしれない。
雑誌で吉田義男がおもしろく喋る記事を見た。「私だけが知る巨人V9の真実 ライバル編」(今年の週刊ポスト1月号)という内容で、最初は常識的に
「(巨人は)みな選球眼がよくて四球を選ぶ。だから打線が繋がる。巨人の3番、4番には王貞治、長嶋茂雄が座っているわけで、柴田(勲)や土井(正三)が塁にでれば打線の破壊力はより大きくなる。巨人は1番から4番までの4人で勝っていたようなもんです。その4人に1試合に4度回ってくる。強いはずですわ」
と語っていたが、このあとにリップサービスあり。
「(巨人戦で)もうひとつ厄介なのが審判でした。審判も人の子だから、迷った時には、王や長嶋が見逃したのならボールだ、と。上手い人に有利な判定をしてしまう。世にいう王ボール、長嶋ボールというヤツです」。
古株の記者ならみな承知の逸話にしても、いや、まったく巨人は強くあるべきをこぞって熟成していた。吉田の話が続く。
「当時の阪神には球界を代表する小山正明や村山実というピッチャーがいたし、その後には江夏豊も出てきたが、彼らは10人を相手に野球やらなアカンというてましたね(笑い)」
小山らの苦労を知るよしもない長嶋茂雄は
「阪神?負ける気がしなかった。あはは」
と笑っていたそうだし、それに対して吉田の反論が爆笑ものである。「こっちは巨人軍に勝てる気がせんかったなあ」。
記録を調べてみると、2014年までの阪神ー巨人戦の成績は阪神の777勝999敗67分け。
2リーグ分裂(1950=昭和25年)から64年(64シーズン)でタイガースが勝ち越したのは8度だけ。巨人コンプレックスはかくのごとくの数字を露呈している。吉田の「勝てる気がせんかった」は真面目な本気なのである。(敬称略)