必死のヘッスラでプロ初盗塁も監督激怒
金本知憲氏がプロ野球人生の秘話を語る連載「21年間の舞台裏」。第5話はプロ初盗塁にまつわる、ほろ苦いエピーソード。当時の三村敏之監督からひどく怒られ、さらに待っていた悲劇とは…。
三村敏之監督の怒った顔を思い出します。僕のプロ初盗塁なんて三村さんの記憶の片隅にもなかったと思います。94年6月1日の阪神戦(甲子園)でした。八回表に内野安打で出塁した僕はプロ60試合目の出場で、初めて盗塁に成功しました。
2点リードの押せ押せムード。フリースチールの局面でした。二塁を狙った僕は1ストライクからスタート。気持ちに余裕なんてなかったけど、セーフになってホッとしました。ところが…。
「走るのが見え見えの場面じゃろうが。警戒されとるのに、ワンナッシングから走るバカがどこにおるんじゃ」。三村監督の言うとおり、久保康生投手-木戸克彦捕手のバッテリーはピッチドアウト。僕はヘッドスライディングで必死にチャンスをつくったつもりだったけど、監督は激怒です。「プロ初」とつく記録のなかで、これほど苦い思い出はありません。
これに輪をかけて監督の機嫌が悪くなるシーンが待っていました。僕の盗塁は追加点につながらず、迎えた八回裏でした。あれよあれよと塁が埋まり…次の瞬間、甲子園球場は大歓声に包まれました。逆転満塁ホームランが飛び出したのです。
ヒーローは、真弓明信選手でした。久保さん、木戸さんのバッテリーから記念の盗塁を決めた夜に真弓さんが劇的な一発。これもなにかの縁…かもしれません(笑い)。
三村監督に黙っていたことがあります。僕はこのときのヘッドスライディングで、右手中指を思いっきりベースに突いてしまったのです。試合のあと、指がパンパンに腫れ上がりました。ボールを握れない。バットも振れない。このままでは、絶対にプレーは無理。過去にも練習中のケガが首脳陣にばれて、遠征先から強制送還…なんて苦い経験もありました。突き指なんて知られたら、即2軍行きです。「ちょっと盗塁したら、もうケガか?お前の代わりなんてたくさんおるんや」。そんなふうに嫌みを言われることは、目に見えていました。
甲子園球場からバスで江坂(大阪府吹田市)の宿舎へ帰る途中、先輩からのアドバイスを思い出したのです。あれはたしか、山芋としょうが…だったと思います。