王さんのスピーチで、さらなる向上心
金本知憲氏がプロ野球人生の秘話を語る連載「21年間の舞台裏」。21年間の現役生活を振り返れば、00年は最初のピークだった。絶頂期に聞いたダイエー王貞治監督の言葉、そして、陸上競技界英雄の年齢を度外視した記録が、32歳の金本に勇気を与えた。
あの、王さんが…。びっくりしました。
「野球道、とどまるところなし。もっともっと上を目指したい」
00年といえば、日本シリーズでON対決が実現したシーズンでした。その年のオフです。新高輪プリンスホテルで行われたプロ野球コンベンションで、パ・リーグ優勝監督として招かれた王貞治さんが壇上でスピーチをされました。え!と思いました。僕のようなレベルの選手が言えば、まあそうだろうと思われるかもしれないけれど、世界の王さんでもこんなふうにおっしゃるんだ…と。
3割30本30盗塁で表彰された僕に、さらなる向上心が芽生えた瞬間でした。よし、オレは史上初のことをやってやろう。プロ野球の歴史でトリプル3を2度やった人はいない。来年もう一度、3・3・3をやるんだ。いや、とどまるところはない。もっともっと上を目指そう。40本40盗塁を目標にやってやる。本当に、そう思ったのです。
当時、32歳。21年間の現役生活を振り返れば、体力的に最初のピークを迎えていたと思います。広島のトレーニングジムで筋力の数値を記した用紙に、ふざけて「スーパーボディー」と書き込んだのもこの年。今から思えば、まだまだ鼻くそ小僧なのですが(笑い)。
ジムの平岡洋二代表に教わって40歳になっても衰えないために、プロ1年目のオフからトレーニングを積んでいました。それでも、20代後半のあたりから徐々に年齢のことを気にするようになりました。一流と呼ばれる選手でも、ほとんどが30代で引退する。30歳を過ぎれば決定的に体力が落ちるとされる時代でしたから、危機感を持っていました。そんなとき、陸上界の英雄の存在が勇気を与えてくれたのです。
91年の世界陸上選手権東京大会で、カール・ルイス選手が30歳で当時の世界記録を樹立していたことを知りました。96年のアトランタオリンピックでは35歳で金メダル。走り幅跳びで新鋭の有力選手を寄せつけず、30代半ばにしてオリンピック4連覇の偉業を成し遂げていたのです。
30代はまだまだ全盛期かもしれない。ルイス選手の能力と同じはかりで見ることは間違いかもしれないけれど。自分だってやればできる。そう信じたのです。