長女誕生の日に1000本安打達成!
金本知憲氏がプロ野球人生の秘話を語る連載「21年間の舞台裏」。広島時代を振り返るラストは01年9月2日の記憶。1000本安打を達成した巨人戦の夜に待望の長女が誕生した。長嶋茂雄監督を苦しめた舞台裏は…。
もうすぐ、子どもが生まれる。試合前に家族から聞かされました。ジャイアンツ戦3連勝がかかった大事な一戦。そして、あと1本ヒットを打てば、プロ通算1000本安打を達成する。打ちたい。きょうは絶対に打ちたい。ところが…。
そんな気合も空回りです。1打席目、フォアボール。2打席目もフォアボール。3打席目にレフトフライを打ち上げ、4打席目は敬遠でした。01年はリーグ最多の128四球(歴代5位。年間四球の歴代1~4位と6~10位は王貞治氏)で、そのうち敬遠は16個。勝負を避けられることの多いシーズンでした。
僕は2試合連続でMEP賞を獲得していました。きょうはダメか…半分あきらめていた5打席目に、願ってもないチャンスが訪れました。得点圏にランナーを置いて、打席が回ってきたのです。
前年度から抑えに定着していた岡島秀樹投手からセンター前にヒットを打ちました。僕のタイムリーで6対4。リードを広げ、3連勝を決めることができました。試合のまっ最中に長女が誕生しました。電話で一報を受けた僕は広島市内の小さな産婦人科に駆けつけました。待望の第1子です。寝顔を見ると、もう言葉になりませんでした。
1000本安打を達成した夜です。21年間の現役生活で一度しか経験のない、3試合連続MEP賞のおまけまでつきました。僕にとっては最高のメモリアル。でも、ジャイアンツにとっては致命的な日になりました。カープ戦3連敗で首位ヤクルトとの差が一気に開き、優勝戦線から脱落したのです。それから間もなく、長嶋茂雄監督が辞意を固められたと聞きました。球界の関係者から「お前、ミスターをやめさせたな」と、冗談まじりに責められたことを覚えています。
「次は2000本安打を目指したいか」。記念打の夜、報道陣からそんなふうに聞かれました。「絶対に無理。あり得ない」。僕のネガティブなコメントは当時の新聞を見てもらえれば、わかります(笑い)。その年の7月に打った200号本塁打も、プロに入ったころを思えば天文学的な数字。クビを覚悟しながらプロ野球人生をスタートさせたんですから。
広島時代を振り返るのは、今回がラストとなりました。阪神時代の話はまた次の機会にお話しさせていただきたいと思います。