岡田阪神と立浪中日 共通テーマ「かえる」 85年吉田阪神はマイクを使って変わろうとした【5】
中日ドラゴンズの大島宇一郎オーナーとは、東京中日スポーツの代表をされていたこともあって、何度か会食した。プロ野球記者に伝わる「三大不思議」を話した。長くトラ番をしていたわたしとの雑談を、大島さんは面白がっていた。
「監督にならない三大選手の不思議。広島・衣笠祥雄、阪神・掛布雅之、そして中日・立浪和義です」。もっともらしい理由も付け加えた。ふんふんと聞いていた大島さんは直後に、中日のオーナーとなった。驚いたことに三大不思議の一人、中日・立浪監督があっさり誕生した。
阪神は17年間優勝していない。中日は11年間。85阪神も20年間優勝していなかった。テーマはいずれも「かえる」である。岡田監督は「戦う姿勢と戦い方」を変えようとしている。立浪監督は選手を替えた。吉田監督はトラ番記者との関係を変えた。
1985年2月5日-。吉田監督の発案で、キャンプ休日にコーチ陣対トラ番のソフトボール大会が開かれた。当時の吉田監督は口下手だった。冗舌な一枝コーチが、トラ番とのパイプ役になった。分かっているからこそ吉田監督があえて、自らの発案でトラ番との交流の場を設けた。
お家芸とも言われたフロントと監督、首脳陣、そして選手との軋轢。マスコミとのぎくしゃくした関係も一因だった。村山派、吉田派、と言われた時代。トラ番までもが両派に分かれて、トラブルに油を注いだ。
ソフトボールといえども吉田、米田、中村、上田らコーチ陣の打球は、外野の仮フェンスをポンポンと越えた。プロ野球選手。何年たっても迫力が違う。「わしが投げる」と上田は、得意のアンダースローでトラ番をのけぞらした。トラ番チームは私も含めて、1本も柵越えはできなかった。笑いと珍プレーの絶えないのどかな一日になった。
散歩に来ていた岡田彰布が観客席にいた。
「代打、渡真利」。岡田の大声が、他に観客のいない球場に響いた。隣に座っていた渡真利が、戸惑いながら立ち上がった。選手会長の指名とあれば、断ることもできない。トラ番投手のへなへな球に、一塁ファウルフライ。球場中に笑い声が広がった。
このときの岡田、渡真利コンビが8カ月後の10月16日、神宮球場で奇跡の瞬間を演じるとは知る由もない。
夜は宴会。高知名物の皿鉢(さわち)料理と名酒土佐鶴。田舎街に一軒しかない料亭は、貸し切りで盛り上がった。優秀選手賞としてトラ番には、安芸のぽんかんひと箱が贈られた。
「ここに住所と名前書いて」と球団マネジャーから荷札が渡された。安芸の雑貨店から自宅に届く。果物や干物などの土産物を扱う雑貨屋は、マネジャーの親戚だった。地元との交流も含めて、前年までとは違う何かが芽生え始めていた。
漁師町の安芸には人口以上に飲み屋がある。2次会はカラオケ大会。「足、あし、あしいー」。マイクを持った吉田監督が叫んで、場を沸かせた。グラウンドで朝から晩まで叫び続ける得意のセリフだ。
守備への持論は足を動かすこと。クラブだけでさばくのではなく、足を使って正面に入る。練習中に首脳陣がマイクを持って指示を出すのも、このキャンプから始めた。
静かな阪神キャンプと言われた。隣の高知市でキャンプする最強軍団の阪急とは、練習量も球の速さも飛距離も、声までもが「半分」と揶揄された。何かを変えようとした。マイクを使って首脳陣が大声を出して、活気があるように見せることから始めた。(特別顧問・改発博明)
◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。