TとGの盗み合い
【4月23日】
父親が阪神ファンだったから物心ついたころからテレビで阪神戦を観ていた。小中学時代の80年代はよく甲子園球場へ連れて行ってもらったりもした。子供心に楽しみだったのはやっぱり巨人戦。当時はT-G戦しか甲子園は満員にならなかったし、球場での盛り上がりも他とは違ったので、自然と応援に熱がこもった。
幼いころからサッカーをやっていたので特別プロ野球選手への憧れはなかったが、T-G戦でいつも父親が「うまいなあ」と感心する選手には興味があった。巨人の篠塚利夫(現・和典)。当時の球界でヒットメーカーと言えばこの人。左打者であれだけ綺麗に流し打てるのは、この世界で仕事をするようになった今でも篠塚が一番だと感じる。父からすれば「敵ながらアッパレ」というやつだ。
「僕、子どものころからずっと阪神ファンだったんですよ」
東京生まれ、千葉育ち。巨人一筋の篠塚がこの日、東京ドームのイベントでそうカミングアウトしていたから驚いた。往年のファンの間では有名な話なのか…。でも、たぶん父はそんなこと知らなかったと思う。あれから30余年。今もプロ野球好きの父を喜ばせてあげようと、篠塚と時代をともにしたレジェンドに聞いてみた。
「当時、篠塚は俺のバッティングの映像を見ていたらしい。巨人の関係者からそう聞いたことがあるよ。篠塚が直接、俺に聞きにきたことは一度もないけどな…」
藤田平が教えてくれた。藤田と言えば阪神の生え抜き唯一の2000本ヒッター。虎党だった篠塚はプロ入り後も藤田の巧打に憧れ、ビデオで研究を重ねていたそうだ。侍ジャパンなど横の繋がりの希薄な時代。球宴で顔を合わせても篠塚が藤田にそんなそぶりを見せることはなかったそうだが…。
「俺も他球団で教わりたい先輩がいてな…。俺の場合は直接、聞きに行った」。藤田は言う。習いたかったのは張本勲。今の若者にとっては喝!!のジイさんかもしれないけれど、伝説の3000本打者は藤田の憧れ。張本が大阪に来たときは夜中にこっそり宿舎まで出向き、部屋で指導を仰いだという。「聞きたいときは他球団の選手でも聞きに行く。そうせんとうまくならん」。そんな執念が、篠塚が「盗みたい」と憧れた安打製造機を生み出したのである。
この日の試合前、打撃コーチの平野恵一が江越大賀を捕まえ、バッティング練習中の坂本勇人を指さしていた。「あれだけの打者でも練習中から体が開かないように何度も丁寧に素振りで矯正している。お手本にしないと…」。
そう言えば、前夜テレビ東京で坂本の密着インタビューを放送していた。Gの主将が侍ジャパンの仲間から積極的に教えを請う映像が何度も流れた。「打てないなら、打てる人の話を聞きに行く。人の感覚も取り入れないと…」。昨季の首位打者が確かにそう言っていた。宿敵であれ、いいものはいい。TとGの盗み合いだって、後に伝説になれば格好いいと思う。=敬称略=