伊丹の虎が勇人を祝う

 【11月8日】

 坂本勇人と田中将大がバッテリーを組んだ少年野球チームを知る者は多い。兵庫県伊丹市を拠点にする「昆陽里(こやのさと)タイガース」がそうだ。投手坂本、捕手田中。地元では伝説である。

 伊丹市に隣接する西宮市で少年野球に携わった当方の耳に、その逸話は彼らが卒業して20年経った今も届く。2人のスーパースターを生んだ伊丹の虎。この仕事をするようになり、縁あって、昆陽里タイガース時代の坂本、田中のチームメートを知るようになった。

 松村昌哉と野条淳己。

 坂本は彼らを「まさや」「あつみ」と呼ぶ。まさやは坂本の従兄弟(いとこ)であり、あつみは幼なじみ。かつての僚友であり、親友の2000安打を祝福する彼らに「昆陽タイ」時代の思い出を聞けば、ここに書き切れるはずもない想い出が溢れる。彼らに何を聞こうか迷った挙げ句、シンプルにこんなギモンをぶつけてみた。坂本勇人の少年時代を知る者として、坂本勇人が超一流になった理由をどう説明しますか?

 松村は言う。

 「鬼ごっこやかくれんぼからTVゲームまで、たとえ遊びであっても、とにかく自分が負けそうになると、どんな手を使ってでも勝とうとするんですよ(笑)」

 「ガキ大将」と呼んでしまえばそれまでだけど、今も昆陽タイOBから親しまれ、節目で食事をともにする彼らの関係性を見れば、そこに「愛すべき」-との形容をつけるべきかもしれない。

 松村は続ける。

 「その負けず嫌いの精神が、高校3年の夏に甲子園へ行けなかったこと、そして、目標であったプロ野球選手になれたけど、それが『外れ1位』での入団だったことで更に大きくなっていって、それをバネにプロでも結果を出し続けているんじゃないかと…」

 挫折に背中を押される者はあまたいるけれど、従兄弟から見た坂本の反骨心はスケールが違った。

 「ほんとにヤンチャだったんですけど、なぜか人が周りに集まってくるんです。当時から勇人には人のアドバイスを素直に取り入れる素直さがありましたよね」

 幼なじみの野条は懐かしむ。

 素直さと聞いて思い出した。

 時は伏せるけれど、実は、坂本が金本知憲と食事を共にした夜がある。金本の東北福祉大時代の先輩が光星学院の監督を務めていた縁もあり、都内で一度だけ。

 坂本にとって金本は憧れ…いや本人に聞いたわけじゃないので、感情を軽はずみに書けない。それよりもあの夜、同席させてもらった当方が一番驚いたこと、それは食事を終え店を出たところで始まった野球談議である。どう見たってそれと分かる男たちが道ばたで身ぶり手ぶり、宙にバットの軌道を描き、ああだこうだ言っている姿が忘れられない。理論は違うかもしれない。それでも、金本の何かを吸収したいという素直な一心は嫌というほど伝わってきた。

 「次は3000本を目指して」

 旧友が確信をもってエールを送る意味はよく分かる。=敬称略=

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