練習では悪うないんや

 【6月26日】

 大阪市内で「よっさん」とご一緒する機会に恵まれた。試合前のことだ。いや…僕がそんな呼び方をしたらバチが当たる。1985年の日本一監督。永久欠番。牛若丸…。緊張した。

 中学時代に西武ライオンズとの日本シリーズを見させていただきまして。

 「ほう、そうですか」

 きょうはお話できて光栄です。

 「いえ、いえ…」

 21年ぶりのリーグ優勝、そして初めての日本一を阪神ファンとして堪能した39年前。伝説の猛虎を率いた吉田義男は神様だった。

 「当時は今のチーム力とは随分違いますからね…」

 来月91歳になる名将は岡田阪神と85年を比べてそんなふうに言った。

 他社さんの評論家なので野球解説をここで語っていただくわけにはいかないが、雑談で盛り上がる中で「そういえば…」と思い起こした。

 昨年日本一に輝いたことで85年シーズンばかりクローズアップされがちだが、連覇を目指した86年シーズンと今シーズンを比べればどうだろう。

 あえてこじつけてみれば、何だか少し似かよった要素もある。

 86年といえば、4月の中日戦で掛布雅之が死球を受け、左手親指を骨折。4番がいきなり戦線離脱を余儀なくされる。故障といえば、岡田彰布も春先からコンディションは思わしくなかった。掛布が死球で倒れた日、岡田は発熱をおして試合出場していた。当時のデイリースポーツにそう書いてある。

 そんな中、史上最強助っ人R・バースはどうだったか。

 古い紙面をめくると、38年前のこの日、86年6月26日にバースは日本タイ記録となる「7試合連続本塁打」を後楽園で江川卓から放っている。

 球団史に刻まれたメモリアル。縁起がいいじゃないか。しかも、その6・26から吉田阪神は破竹の9連勝を飾り首位戦線に浮上したのだ。

 当時虎党だった僕もさすがにそこまで記憶にない。

 なぜ10連勝できなかったのか。気になって調べれば、大台がかかった大洋戦で岡田が4打数無安打とブレーキ。ことごとく得点圏の好機で凡退した…と書いてある。

 「練習では悪うないんやけど、ゲームで結果が出えへん」

 これが背番号16の弁。このときの岡田は、右肩、肘、首を痛め、背中に磁気治療の跡。満身創痍だった…とも記されている。

 そしてこの年、オールスター前ラストゲームの中日戦では岡田、バース、真弓明信が故障で途中交代。9連勝の歓喜は薄れ、後半戦へ向け、不穏な空気が流れていた…のだとか。

 「いつも口癖のようですが、優勝は8月から9月にかけてです。この時期に優勝戦線にいるかどうか。後半戦はほんまの戦争ですわ」

 52歳の吉田義男は虎番から前半戦の総括を求められ、そんなふうに語ったという。あのシーズン連覇を逃した吉田義男は、90歳の今、岡田阪神を眺め何を思うのか…。    =敬称略=

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