「普通」を奪われたくない
【10月12日】
岡田親子のキャッチボールを見たことがある。あれは04年の冬だから20年前の話だ。阪神の新監督に就任した岡田彰布は当時46歳。長男の陽集さんは大学受験をひかえる高校生だった。
神社境内の広場で新監督はキャッチャーミットを構え、息子さんが投手。陽子夫人がバットを手に…。阪神を取り巻く巨大メディアでこんな稀少なシーンを見たことがある者はなかなか…いや、自慢げに書いているが、これは当時、僕が猛虎の第30代監督にお願いした正月紙面の絵作りだった。
カントク、そこで「締まっていこう!」という感じでミットを高く掲げてもらえませんか?
「え?息子がもう振りかぶってるのに、それはおかしいやんか(笑)」
あのとき、柔和な面持ちでこちらの無理なお願いを引き受けてくれた岡田は、今の僕より若かったのだ…。
なぜ、そんな昔話を思い出したかといえば、石井琢朗親子のめでたい話題を目にしたからである。
前日(11日)、DeNAチーフ打撃兼走塁兼一塁ベースコーチの次女・石井さやかがテニスの全日本選手権で初優勝を果たした。彼女は05年生まれの19歳なんだとか。多くのメディアが10代の快挙を大々的に報じていたが、さすがのDNA…。なんてシャレを言っている場合じゃない。
秋晴れの甲子園が「あぁ~」と大きなため息に包まれたのは三回である。一塁コーチャーズボックスで石井が遊ゴロの桑原将志を称えている。
才木浩人が1死満塁から桑原の併殺崩れでDeNAに先制を許した。完全に打ち取った打球だったし、木浪-中野の二遊間もあれが目いっぱいのプレー。ボテボテが災いしてしまった。
「まず選手の気持ちを楽にしてあげたかった。無死満塁のチャンスで打席が回ってくる。そこでゲッツーでもオッケーだとずっと選手に言いました。理念や理想を選手に押しつけることがコーチの仕事ではないですから」
これは広島カープコーチ時代の石井から聞いた言葉だ。カープ「連覇」の功労者で、慕う選手も多かった。職場が変われど哲学は不変だろう。
牧も、佐野も、DeNAは普段着に見えた。阪神は…。試合後、クラブハウスへ引き揚げる球団社長の粟井一夫に問うてみた。全体的に硬かったか?
「そうやね。少しそう見えたね…」
無理もない。ポストシーズンが終われば岡田がユニホームを脱ぐことが決まった。レギュラーシーズン終了後、阪神界隈は「監督問題」で持ち切りになった。当然、選手にも日々その類いの質問が飛んだ。この日の試合前、粟井が一塁ベンチへ出向き、岡田と2人で話し込んでいた。例え「野球の話」だったとしても、周囲はどうしても勘ぐってしまう。昨年それで勝ったように今年も「普通に」プレーさせてやれれば…。虎将の思いだ。
岡田が今シーズン粟井に語った連覇の条件を聞いたことがある。大願が叶った日に書ければ…。66歳になった知将が説いてきた「普通にやればええ」野球の集大成を見たい。=敬称略=