アクロバティックな発想
【11月14日】
幕末の志士、中岡慎太郎ってどんな人物?分かりやすく説明できるかと問われれば…日本史を武器に大学合格した僕だけど、所詮は浅はかな受験の知識。ちょっと待って。え~っと…。
せっかく近くにいるのだから行ってみた。きのうの岩崎弥太郎に続く「土佐日記」。訪ねたのは「中岡慎太郎生家」である。安芸の市街地から土佐湾を眺め、レンタカーで40分。ほぼ信号に邪魔されない国道55号を東へ、さらにバイパスで奈半利川へ続く山中をくぐれば、そこに中岡のルーツが眠る。
坂本龍馬とともに京都の近江屋で暗殺されてから157年が経った。あの時代に遺髪が京都から故郷の安芸郡へ送られ、中岡が幼いころ読書を学んだ松林寺に今も埋葬されている。
墓石に手を合わせ、復元された生家の説明書きを読めば、20数年前に頭に詰め込んだ中岡の功績と繋がる。
敵味方に分かれていた薩摩藩と長州藩に手を組ませる(薩長連合)という何ともアクロバティックな発想で歴史を動かした人。龍馬と慎太郎、双璧の志士によって討幕が現実味を帯び始めるわけだが、巨大幕府を倒すなど夢のまた夢だった時代だったからこそ大功は語り継がれる。生家に飾られる中岡のモノクロ写真を見れば、笑顔で優しそうな風貌だが、大志を実らせる者は相応の勉学と常人にない発想が…。
さて一方、「安芸日記」を記せば、やはり藤川球児の「発想」に焦点は向く。トップによる打者へ向けられた指南が投手目線であることは実は斬新。目から鱗。そんな話をよく聞く。
それはそうと…。時にこの度の藤川「監督就任」にネガティブな論調を見かけることがある。理由は「指導者経験がない」というものだけど、ちょっと何言ってるのか…。そもそも「経験がないから」不安だという発想そのものが浮薄。所せん「過去にこの監督もダメだったじゃないか」程度の言い草で、球児の資質をフラットに精察したわけでも何でもない、性悪に映る。
また、そういった推論は、夜明け前の「日本的」でもある。というのも、僕がサッカー担当をしていた時代に感じたことだが、とりわけ欧州ではそのキャリアによって指導者の優劣が判断されることがないし、この人材は「こうあるべきだ」という固着観念はゼロに等しい。志の高いすべての人に無限の可能性が開かれる文化…とでもいおうか。アメリカへ渡り、メジャー経験がある球児はおそらくそんな論調を気にも留めていないだろうけど。
そういえば、新監督は毎朝ホテルの自室に配達される複数の新聞でMLBの情報も見ているという。球界の情報など、新聞は毎朝チェックするのか?そう聞けば、球児は「4時半くらいに新聞が入りますからね」と笑う。
ん?朝4時半??
まだ戦力の輪郭が定まらないこの時期、我が軍を思えば夜明け前に目が冴えるのだろうか。安芸郡の生家で眺めた中岡慎太郎の言葉が浮かぶ。
『謙虚とは、堂々として過信しないこと』-。藤川球児の信条が重なる。=敬称略=