球児不在の龍馬生誕日
【11月15日】
11月15日は坂本龍馬の189回目の誕生日である。この日、生誕祭が各地で開催されたが高知は生憎の雨。当欄の土佐日記を綴ろうと訪れた桂浜も波が高く、龍馬像も雨に打たれていた。
「坂本龍馬記念館」で龍馬が絶命する直前の「直筆手紙」が特別公開されると聞いたので行ってきた。小一時間もあれば堪能できるだろうと踏んでいたのだが、全然…。史料も、アイデアも、建物も立派で驚いた。見入ってしまえば、本業のキャンプ取材に間に合わない。傑物の資料館の類いでこれほど惹きつけられる場所はなかなか…。
おとといは岩崎弥太郎、きのうは中岡慎太郎、きょうは…。実は今回の安芸出張は「龍馬の誕生日」から逆算し土佐の三偉人を連載しようと決めていた。教科書で習った各々の功績、また、司馬遼太郎の長編小説に教わった人となり、僅かな知識を携え、ゆかりの地を探訪してみたが、何だか、少しだけお近づきになれた気が…。
彼らの歴史に触れたくなったのは、もちろん新しい虎将に土佐の血が流れているから。その哲学に実は偉人の源流を継ぐものはないか。そんな視点で車を東へ西へ走らせた三日間だった。
【龍馬は筆まめで長い手紙を書く。相手によっては冗談を入れたり、独特の例え話を入れたりする。相手を思いやる気持ちが強いため、理解しやすいように平仮名を多くしたり、ルビを振ったり、言葉を尽くして説明するため長くなる傾向にある】
龍馬記念館の展示室で「手紙には人柄が表れる」として現存する最後の手紙の脇にそんな説明が記してあった。
その龍馬直筆の手紙は、幕末4年ぶりに土佐へ戻り、大政奉還を加速させるため再び京都へ戻った際に家族に無事を知らせる内容。旅路は、この日と同じく生憎の雨模様だったという。
できる限り監督の囲み会見を取材するようにしているのだが、龍馬の手紙から見いだせる特性が球児の言葉に薫る。本人から手紙をもらったことがないので僕の勝手な受けとめだけど…。
「火の玉語録」として日々新監督の談話を載せている。選手も当然読む。星野仙一や岡田彰布のように「伝わること」を意識するかどうかは別として球児もその前提で喋ることになる。
いわば「手紙」にもなりうるので、曲解など招きたくないだろうし、文字で伝わりにくいことは極力話すべきではないと考えるかもしれない。
「相手を思いやる気持ち」はコメントの随所に感じる。国際大会を戦う虎の侍戦士には「ケガなく帰ってきて欲しい」と言い、FA宣言の戦士については「今はそっと見守ってあげるのが一番いいと思います」と語っていた。
「新聞は4年間見ていなかった。ケータイ(の情報)で十分だったから」
背番号22は一昨日そう語っていた。この日は就任前に決まっていた仕事で県外へ…安芸に不在だった。引退した20年から4年ぶりに将として土佐へ凱旋したわけだが、片言隻語注目される立場だから言葉を尽くしている。やはり、球児の「手紙」が読めない朝は何だか物足りない。=敬称略=