怒声が飛んだ阪神取締役会

 【12月20日】

 読売新聞は「渡辺恒雄氏死去」をこの日の1面で報じた。大見出しの隣に「98歳 読売新聞主筆」と添えて。

 最後まで「記者」の肩書にこだわった球界のドンについて何を書こうか。 「功績」の年表がこれほど埋まる人は球界にもう出てこないだろうけど、筆者が知る渡辺といえば、巨人軍のオーナーに就任した96年から。大学卒業後、デイリースポーツに入社したのが95年。あの頃、いっぱしのぺーぺーがドンの取材に近づけるわけもなく、新聞に載る直言居士のコメントはただただ遠い世界のものでしかなかった。

 結局、巨人の番記者に拝命されず、取材機会は最後までなかったのだが、著書は何冊か読ませてもらった。

 「記者は書かなきゃダメなんだ」

 取材対象者の懐に飛び込み情報を持ちながら、しかし、書かない記者、そんな奴は記者じゃない。この「ナベツネ哲学」は、畑は違えど、同業に身を置く者として共感したものだ。

 「渡辺恒雄と阪神タイガース」-。

 その遍歴を取材すれば、やはり、大阪の電鉄本社を直撃した球界再編の嵐に興味をそそられる。

 04年だからもう20年前になる。近鉄とオリックスの合併構想が表面化した同年、当時、経営に窮していたパ・リーグ球団の救済も胸臆に「10球団1リーグ制」への移行を支持した渡辺は、自身の腹心であり読売新聞大阪本社で社長を担った老川祥一(後の巨人軍オーナー)を介し、水面下で阪神に「協力」を要請していた。

 盟友関係にあった阪神オーナーの久万俊二郎はこれに呼応したわけだが、そんな「渡辺-久万」の気脈が阪神の「内乱」を生むことになる。

 渡辺に反し、「2リーグ制存続」を主張していた当時阪神球団社長の野崎勝義は、同じく「2リーグ主張」の星野仙一SDにも思索を仰ぎ、自軍の総帥の言明と対峙することになった。

 当初野崎の試案に共鳴していた久万が一転「読売案」に与したことで、当然ながら阪神の取締役会は荒れた。

 「どんな権限で動いてるんだ!」

 大阪野田の本社で久万の怒号が飛んだ。取締役会のテーブルは本社役員と球団役員が対面し、中央で久万と野崎が向かい合っていたが、久万の憤りは隣席に着いた次期オーナー手塚昌利、宮崎恒彰ら本社役員へも向けられた。

 「君らはあまりにもひどい!」

 本社内でも「2リーグ存続」が大勢で、野崎を「後押し」したとみられ、それを察した久万は激高し退席した。

 オーナーが右だと言うのに、社長は左と言う。「阪神はどうなっているんだ」。渡辺の逆鱗に触れた野崎はそれ以来、巨人軍の球団事務所を「出入り禁止」になった。取材を綴ればキリがないが、実は阪神にも渡辺の旗幟に賛同する役員もいた。一旦、1リーグにし困窮の球団を救済する-渡辺が頻りに説いた案は「一旦」が肝。久万はそんな了知だったとも聞く。「たかが選手」発言が切り取られ「大悪役」にもなった球界のドン。阪神との関係を多面的に書けば…。続きは次回。=敬称略=

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