文化と歴史が息づく“水の都”富山の旅 四季折々変わる表情-感じるささやかな幸せ
立山連峰、黒部渓谷、富山湾の海の幸に温泉と豊かな自然に恵まれた富山県。その中心の富山市は、歴史に彩られた豊かな文化の息づく町でもある。1988年4月に運航を開始した松川遊覧船はかつて、富山城の外堀の役目を果たした神通川の名残り、松川を運航するクルーズ船。市街地とは思えないゆったりとした時間を過ごせば、ここが川の歴史とともに生きた“水の都”だとわかる。
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富山市の中心地にある富山城址公園。その横を流れるのが松川だ。そこに浮かぶ朱色の船の名は「神通」。戦国時代に天然の外堀として城を守った神通川に由来している。
水運や川魚漁でも栄えた神通川は、氾濫(はんらん)を繰り返した“暴れ川”だった。そこで明治から昭和にかけて街中へ湾曲していた部分を直線でつなぐ工事が行われた。ただ、城を守った元の川筋は残したいと人工的に造られたのが、川幅約10メートルの松川だ。地元タウン誌「月刊グッドラック富山」の発行人、中村孝一氏らの活動によって運航が始まった遊覧船は今年31年目を迎えた。
約1・2キロ、30分のクルーズでは7つの橋を巡る。その最初が「桜橋」。「さくら名所100選」に選ばれている松川沿いには460本の桜が植えられている。「動画で満開の桜のトンネルが世界中に発信され、シーズンは2時間待ちになります。台湾では松川の桜を見てから死ねと言われているそうです」と中村さん。近年は海外からの観光客が多いそうだ。
清涼感にあふれた夏の緑のトンネルも負けてはいない。片岸には県庁と市役所。街の中心を漂いながら歴史を語る船長さんの名調子を聞いていると、水辺でアオサギが魚を捕っていた。近づいても動じないのは船があまりにゆっくり進んでいるから。川というより堀に近い緩流が穏やかな時間を紡いでくれる。
遊覧船の船着き場にあるレトロな「松川茶屋」には「滝廉太郎記念館」が併設されている。父の仕事で7歳から9歳まで富山に住んだ滝は、富山城周辺が生活圏だった。三の丸辺りの小学校に通っており、父が勤めた県庁も本丸御殿にあった。
滝が作曲した「荒城の月」のモデルは諸説ある。しかし、街の人たちは皆、富山城のお膝元で過ごした少年期があの名曲を生んだと信じて疑わない。
そう言えば、この街で出会った人たちはそれぞれに熱い「富山愛」を口にする。都道府県「幸福度」ランキングで「生活」部門は毎年1位。戦時中の空襲では市街地の99%が燃えたという。そこから自分たちで街を育ててきた誇りがにじむ。仰ぎ見る立山連峰の雄大さとはひと味違う。“水の都”は、培われたささやかな幸せを感じる街だった。