栄光のユニ復刻記念!若者よ阪急ブレーブスを知っているか!②
4月末に復刻版近鉄ユニで試合をしたオリックスが5月5~7日、阪急ユニで戦う。栄光の阪急勇者たちの歴史を若い人にも知ってほしい!(敬称略)
公開日:2017.5.6
82年簑田浩二トリプルスリー達成 松永浩美は日本人初の1試合左右両打席ホームラン
俊足・強打・強肩プラス顔も良く四拍子そろった男だった簑田。88年に金銭トレードで巨人に移籍。
「史上最高のスイッチヒッター」とも称された松永は、球団身売り後の93年にトレードで阪神入り。交換相手の野田が3年連続2ケタ勝利や1試合19奪三振の日本記録を樹立するなど大活躍した一方、故障で80試合出場にとどまる。同年オフに日本球界初のFA権行使でダイエーに移籍。阪神ファンにとっては「史上最悪のトラウマ」となってしまった。
84年最後の優勝 怪人ブーマー大暴れ!外国人初の三冠王でMVPに
本名はグレッグ・ウェルズ。83年の入団時に「嵐を呼ぶ男」として登録名をブーマーとした。阪急最後の優勝となった84年、外国人初の三冠王とMVPを獲得したが、翌85年から2年連続三冠王になった阪神バースの影に隠れた感は否めない。清原和博が若手時代「キヨマー」と呼ばれるほど球界にインパクトを与えた選手だったのに… 89年には首位打者・打点王の二冠王に。2012年、記者投票で決まる野球殿堂に落選し、この年で資格喪失となった。歴代6人しかいない三冠王、実働10年で終身打率.317(4000打数以上では右打者歴代1位)のブーマーが殿堂入りできないとか、納得いかない!
【ヒイキ100%枠】 個人的な思い入れのみで選んだ「我らが勇者」南牟礼豊蔵
86年、中3だった編集Wが修学旅行で訪れた西宮球場(雨天中止ならうめだ花月で吉本新喜劇だった)。ガラガラの一塁側で弁当を食べながら見ていると、阪急応援団長が応援歌を教えくれた。ブーマーや簑田、松永ら当時の主力打者の曲を教わったはずだが、なぜか記憶に残っているのは汎用応援歌の南牟礼。「かっとばせ、かっとばせ○○」と選手の名前を入れ替えれば誰でもOKなアレですわ。よっぽど名前のインパクトが強かったのか、ほかに覚えている出場選手は先発の山田とブーマー、抑えのアニマルのみ。選手の格でいえば段違いだけど、編集Wの記憶の中では「我らが勇者」といえば南牟礼なのだ。