勇者の魂は永遠に― 連載コラムで振り返る知将・上田利治の素顔
阪急黄金時代を築いた名将・上田利治さんが7月1日に亡くなった。デイリー本紙で16年5~8月に掲載され「人間再発掘シリーズ~気骨で生きる 知将・上田利治~」の内容を中心に、稀代の名将の素顔を振り返る。
公開日:2017.7.5
断る上田利治に一歩進み寄って「俺も(フロントに)残ってキミを応援するからな、頼むよ」と言ったから、上田の心も歩み寄る。
第11代阪急監督がここに決定した。上田利治、36歳。
万事、スムーズなバトンタッチ、とだれもが思う。が、時が流れて上田が耳を疑うニュースが入ってくる。俗によく言われる「舌の根も乾かぬうちに」のそのままの驚き。
「俺も阪急に残る」と言った西本の近鉄監督就任が決まったのだ。【第19回・16年6月30日付】
1年目の74年前期Vもプレーオフ全敗 「帰りのチケット取ってない」まさかの結末に
後年―。「あれが勝負の厳しさ。でも、ぼくの(監督としての本当の)出発点はカネさんにこてんぱんにやられた、あの日、あそこ(仙台)からにあるね」と振り返っている。
裏方でさえ「3連敗はありえぬ」と大阪に戻る乗り物の手配を「考えもしなかった」から、帰阪のアクセスは散々。選手はバラバラに帰った。裏方は〝立ちん坊〟だった。【第20回・16年7月1日付】
近鉄の金欠が幸い―西本幸雄の“神の声”聞き山口高志を1位指名
朝に抽選し、昼食をはさんで午後に指名。その昼食時に西本が上田に「うちは山口は獲らんからな」と耳に入れた。「えっ?」。聞けば「(今いる)外国人選手の再契約にかなりの額がいる」「(山口に)回すカネがない」ためらしい。
上田は西本のつぶやきが「神の声」に思えた。【第21回・16年7月5日付】
関西大の後輩・山口高志が語る熱血監督ウエさんの素顔
山口高志は阪急入団が決まってすぐ母校の関大を訪ね、野球部の監督・達摩省一(だるま・せいいち)に上田利治の人となりを聞いた。達磨は村山実、上田と関大野球部で一緒にプレーした仲である。
山口が面白い。
「達摩さんから上田さんのことを聞いたら『もの静かな方や』『寡黙や』と。けれど(上田監督に)会ったら、全然、反対やないですか(爆笑)。せっかちで、めちゃめちゃ大きい声やし。どこが静かなんや。びっくりしましたよ」【第24回・16年7月8日付】