朝赤龍 17年間の相撲人生に心残りなし 今後は後進指導

引退会見後、花束を手に師匠の高砂親方(左)と写真に納まる朝赤龍(右)=東京・両国国技館(撮影・中田匡峻)
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 大相撲の元関脇でモンゴル出身の朝赤龍(35)=本名バダルチ・ダシニャム、高砂部屋=が15日、都内の両国国技館で引退会見を行った。

 17年の角界人生に「(心残りは)ないです。一生懸命頑張ってできるだけ長くやりたい気持ちでやってきた」と笑顔を見せた。

 一番の思い出はやはり04年春場所の優勝争い。「横綱(兄弟子の朝青龍)に負けないよう早く関取になりたいと思い、稽古したら追いつけると思い稽古した」と懐かしんだ。

 昨年九州場所で陥落し139年続いた部屋の関取を途切れさせた。「すぐに(弟弟子の)朝乃山が関取になってくれてうれしかった。これから新しい歴史を作ってくれると思う」と肩の荷を下ろした。

 4月に日本国籍を取得し、年寄「錦島」を襲名。今後は高砂部屋付きの親方として後進を指導する。同国出身では元関脇旭天鵬の大島親方、1月に亡くなった元小結時天空の元間垣親方に次ぎ3人目の親方になる。

 97年に来日し高知・明徳義塾高に相撲留学した。00年初場所で初土俵を踏み、順調に番付を上がり、02年名古屋場所の新十両に昇進。04年春場所では兄弟子の朝青龍とともに初日から12連勝と快進撃し沸かせた。今年の初場所で幕下に転落し、夏場所は、西幕下14枚目の地位だった。

 高砂親方(元大関朝潮)は「(朝)青龍がいなくなって(朝)赤龍が引っ張った。昨年の九州場所はつらかったと思うけど頑張ってくれた。35歳まで地道に努力した。膝のケガがなければ青龍に負けないところまで相撲が取れたと思う。今までやってきた経験を弟子たちにそのままアドバイスしてほしい」と、ねぎらった。

 帰化はしたが日本名は「カタカナのままです」とモンゴル名をそのまま使う。「学んだことを教えながら、ケガをしない強い力士をつくりたい」と、第2の人生へ踏み出す。

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