レスリング 義足外し37年ぶり復帰戦の谷津嘉章「一矢報いて勝ちたかった」 敗戦も新たな夢「パラリンピックの種目に」
「レスリング・全日本社会人選手権」(1日、富士見市立市民総合体育館)
1976年モントリオール五輪代表でプロレスラーの谷津嘉章(66)=日本障がい者レスリング連盟=が男子フリースタイル125キロ級に出場し、準々決勝で釼持洋祐(日本障がい者レスリング連盟)にテクニカルフォール負けした。健常者相手のレスリングの公式戦としては86年全日本選手権以来、37年ぶりの復帰戦だった。
この日一番の拍手が注がれた谷津は「(今回の出場は)障がい者レスリング連盟の啓発もあった。一矢報いて勝ちたかった。これが現実です。それを受け止めて、さらに課題ができたので、健常者から1ポイントでも2ポイントでも取ってやるっていう気持ちがメラメラと沸いてきた」と振り返った。
谷津は日大時代の76年モントリオール五輪フリースタイル90キロ級で8位に入り、日本がボイコットした80年モスクワ五輪でも代表だった。その後、新日本プロレスに入団し、全日本プロレス、SWSなどを渡り歩いて多くのタイトルを獲得。総合格闘技にも挑戦した。
19年4月からDDTに参戦していたが、糖尿病の悪化により同6月25日に右膝から下を切断。その後、東京五輪の聖火ランナーを務め、その練習を行っているうちに復帰を意識するようになり、21年6月にはプロレスで復活を遂げていた。
レスリングの公式戦では、プロ選手として出場した86年全日本選手権フリースタイル130キロ級で優勝した以来。今年1月の全日本マスターズ選手権でのエキシビションマッチと同様に義足を外して両膝でマットに立つ姿勢をスタンダードに戦ったが、ポイントを奪われて敗れた。
現在はパラリンピックの正式種目ではないことから「パラリンピックにはコンタクト系のレスリングは向いている。パラリンピックの一つの種目になるように努力します」と将来の希望を語り、「(正式種目に)なった時は絶対にいの一番に出たいと思う。勝てるかどうか分からないけど、目標を持たないと何をやっているか分からなくなる」と話した。