“プロレスの帝王”高山善廣、頸髄完全損傷で「回復見込みなし」も奇跡の復活を信じて

試合中の怪我で欠場中だったプロレスラー・高山善廣が頸髄完全損傷で「回復の見込みなし」と診断されました。“プロレスの帝王”の奇跡の復活を信じ、多くのエールが送られています。

公開日:2017.9.5

ダイナミックなプロレスラーであり数少ない現役「長身日本人レスラー」の1人。

日本国内3大メジャー団体(新日本・全日本・ノア)のヘビー級シングル&タッグタイトルを奪取した。

団体の枠を越えた活躍ぶりから、週刊ゴングの金澤克彦に「プロレス界の帝王」と称され、以降キャッチフレーズとなる。

2003年12月16日デイリースポーツ紙面

【2003年12月16日デイリースポーツ紙面より】
 高山が初のMVPに輝いた。15日、都内で第30回プロレス大賞(東京スポーツ社制定)の選考会議(マスコミ各社11社の担当記者、評論家の28人で構成)が開かれ、各賞の受賞者が決定した。最優秀選手賞は昨年に続いてマット界を席巻したNWF王者の高山善廣(高山堂)がフリー選手では初受賞。
(中略)
 名実ともに高山がマット界の頂点をきわめた。「素直にうれしい。昔の新日本、全日本の時代は単純に“自分のところで頑張ればいいか”っていうのがあったけど、今はそれじゃあダメ。オレはフリーランサー。いろんなことをしたのが受賞に結びついたと思う。今年はよく働いた」。笑みを浮かべながら受賞理由を解説してみせた。

脳梗塞で長期欠場からも奇跡の復帰!

2004年8月10日デイリースポーツ紙面

【2004年8月10日デイリースポーツ紙面より】
 高山欠場!8日・大阪大会の佐々木健介(38)戦後に意識を失い、大阪市内の病院に緊急入院した高山善廣(37)が9日・神戸大会を欠場。
(中略)
 試合前に会見した新日本の上井取締役によれば、高山はバックステージで意識が混濁して倒れ、救急車で搬送された。病院で意識は回復したが、そのまま入院。8、9日の両日にわたって精密検査を受け、高山堂が新日本に神戸大会の欠場を申し入れた。

2006年7月17日デイリースポーツ紙面

【2006年7月17日デイリースポーツ紙面より】
 帝王がリングに帰ってきた!脳梗塞(こうそく)のため、04年8月8日の新日本・大阪大会から長期欠場していた高山善廣(39)が707日ぶりにノアで復帰を果たした。
(中略)
 脳梗塞で一時は右半身がマヒし、絶望的だと思われていた復帰だけに、感慨に浸っているかと思いきや、高山は「俺はまた頂点を目指すだけ」と早くも天下取りに意欲満々。「高山善廣が帰ってきたぜ。これからもプロレス界を駆け抜けていくぞ。ノーフィアー!」。もう大丈夫だ。プロレスの帝王が戻るべき場所へ戻ってきた。

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