浜村淳 大卒初任給1万円の時代に得た破格のギャラ…しゃべくり自叙伝(2)

笑顔でインタビューに答える浜村淳=MBS(撮影・山口登)
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 「さて皆さん」-。関西の朝は、話術の達人ことパーソナリティー浜村淳氏(83)の名調子なくして始まらない。MBSラジオの名物番組「ありがとう浜村淳です」(月~土、前8・00)は今春に放送44年を迎える。映画、音楽から時事ネタまでを語り続け、しゃべり出したら止まらない浜村節はいまなお絶好調。同志社大学の学生だった時に思わぬ経緯で司会業を始め、プロとなって東京へ。吉本興業時代のギャラ事情も明かしたしゃべくり自叙伝を。以下は(2)。

 -長期の休みも取りにくい生活。

 「昔、毎日放送が春に選抜高校野球をラジオで全試合中継してた時代は、1週間ほどを海外旅行に当ててましたが、いまはそれもないですね」

 -元日も生放送。

 「以前に1、2年ほど、正月3日間を録音にしたことがありましたが、これがものすごい時間がかかりましてね。言い直したり、とり直したりで2時間半の番組が、倍くらいかかった。生放送だと『間違うたらしゃあない』と勢いでいけるので楽やとなりまして、結局、今も生放送です。しかし元日でも、放送中に届くメッセージやファクスや、クイズの答えの数は変わらず、ありがたいことです」

 ◆意地でも50年

 -番組がスタートした74年当時は、朝日放送で、昨年に亡くなられた中村鋭一さんの「おはようパーソナリティ」が人気。毎日放送も中村さんの番組への対抗心があったのでは。

 「それはあったでしょうね。中村さんは、一時、朝日新聞の記者も務められて見識が広いし、話もおもしろくて、何をやっても勝てず、ついに私のところに番組の話が来た」

 -毎日放送からは「寝床にマイクを置いてでもやって欲しい」と頼まれたとか。

 「当時、私は土曜の朝に番組をやってて、聴取率が良かったこともあったんですね。そしたら毎日放送は、月-金と言いたいところやが、土曜は今でもやってるから、月-土でやってくれと無茶を言う。私、いっぺん中村さんに相談したんです。そしたら『やれるとこまでやってみ』と言われました。でも最初は気が重かったです。初めは『1年』という約束でした。しかしそれが結局、43年になってしまったのが本当のところ。一部のリスナーの方は、親・子・孫の3世代で聞き続けてると応援してくださいます」

 -4世代目となるまで続けないといけません。

 「それは、さすがに困ります!でも番組がある以上はやらねばならないと。仕事があれば体も動きます。周囲は、好き勝手にもうすぐ紫綬褒章がもらえるかもとか、無責任にハッパをかけてきますが。意地でも50年までとは思っておるんです」

 -話芸の始まりは、大学時代。

 「これがね、大卒の初任給が1万円の時代に、渡辺プロが6万円くれましてね…」

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