うどんの命は「だし」だから…コロナ禍で客が減る中、窮地の老舗削り節工場を買い取り “伝統の味”を守った「うどん屋社長の心意気」
売り上げが3~5割も落ち込んだコロナ禍にあって、仕入れ先の削り節工場を買い取って伝統の味を守った「大阪だしのうどん屋ひろひろ」社長・廣田耕一さん。1人も解雇することなく従業員と店を守り抜いた一方、削り節だしとビールを合わせた「大阪だしのビール」を開発するというユニークな試みも行った。
■閉店時間が早いため時短支援金の対象にならず…
大阪市内に3店舗をもつ「大阪だしのうどん屋ひろひろ」。コロナ禍で1回目の緊急事態宣言が出たときは、1カ月間の休業を余儀なくされた。
営業を再開しても売り上げは3~5割も落ち込む中、従業員を1人も解雇しなかったばかりか、同じように取引先が減って窮地に陥っていた老舗の削り節工場を買い取って、店の味を守った。
「休業中の従業員の給料は、雇用調整助成金の新型コロナウイルス感染症の影響に伴う特例で賄えましたが、お店のほうは閉店時間が早かったために、時短支援金を受けられる要件に該当しなかったのです」
こう話すのは、「ひろひろ」の社長、廣田耕一さん。
時短支援金、すなわち「営業時間短縮協力金」の主な支給要件には「通常、午後8時から翌午前5時までの夜間時間帯に営業を行う店舗において、要請期間中、午前5時から午後8時までの間に営業時間を短縮する」という文言がみられる。「ひろひろ」は3店舗中2店舗が、午後8時の閉店だった。
「堂島店が夜に宴会を請け負っていて、閉店時間が遅めだったんです。そこだけ協力金を受けられたので、かろうじて助かった感じですね」
また、コロナ禍の初期は、数は少ないけれど出勤しているサラリーマンがいたという。他の飲食店が軒並み休業していることもあり、店に足を運んでくれるお客さんはいたそうだ。
■仕入れ先である創業90年の老舗削り節工場の危機
うどんの命はだし。「ひろひろ」は創業90年の老舗削り節工場から仕入れた削り節でだしをとっていた。
「僕の実家も70年くらい続く『千本更科食堂』をやっていまして、工場の社長である松岡勝男さんとは先代からのお付き合いなんですよ。30歳で脱サラして自分の店を出すときも、松岡さんがだしの開発を一緒にやってくださいました」
削り節工場の経営も、深刻な状況にあったという。飲食店が休んでいるため、工場の在庫が捌けないのだ。
「松岡さんと『どうしようか……』と相談しているときに、国から『事業再構築補助金』が出ることを聞いて、一緒にやりましょうかということになりました」
具体的には、廣田さんが削り節工場を買い取って、松岡さんには工場長として引き続き働いてもらう形を取ったという。これが2021年9月のことだった。
削り節の卸先が「ひろひろ」を含め50店舗以上に及んでいたので、お店の味を守るため、ひいては大阪のだし文化を守るため、当時取り得る最善の選択だった。
こうして「大阪製だし所」として「ひろひろ」の直営になった削り節工場では、2021年12月から毎月第一日曜日に、うどん店を開店している。
「削りたての、本来のだしのおいしさを知ってもらいたくて、始めました」
今ではSNSを通じて噂が広がり、限定70食を求めて開店時間前から行列ができるという。
■大阪のだしとビールを合わせたクラフトビール「大阪だしのビール」を限定製造
2022年秋、廣田さんはだしとビールを合わせるという、ユニークな発想を形にした。
「だしとビールを合わせる発想は僕が初めてではありませんが、チャンスがあったらうちのだしでビールをつくりたいと考えていました。大阪のだし文化を広めたいことと、大阪のだしを使ったビールがなかったので、つくってみようと。どんな味がするかなという好奇心もありましたね」
ビール醸造所を併設するビアバー「ブリューパブ センターポイント」の協力を得て、「大阪だしのビール」として400本を限定製造。うち300本を常連さんやお得意先に配って、残り100本を1本あたり900円で販売した。
「これを商売にするつもりはなくて、何か面白いことをやって注目されるための、話題づくりでした」
ところで「大阪だしのビール」は、どんな料理に合うのだろうか。
「和食ですね。だしの味がするから、鍋ものとか刺身とか。炭酸は、やや弱めです。それと、ごく僅かですが醤油も入っています」
筆者も1本いただいて飲んでみた。飲み込んだ後、だしの風味を感じる。そして、炭酸が弱めで、飲みやすい。
ちなみに「大阪だしのビール」は、今年もつくる計画があるという。
「10月中旬頃を予定しています。2回目ということで、レシピをちょっと変えようと思っています。
■雇用を守った従業員から感謝の言葉
2022年、「ひろひろ」が関西ローカルのテレビ番組から取材を受けた。そのとき、番組出演者から従業員の女性に対して「社長さんに対して、何か一言ありませんか?」と質問されたときに、何の打ち合わせもなく不意だったにもかかわらず、自然にこんな言葉が出たという。
「コロナでお店がしんどいときでもお給料を出してくれて、私たちの生活を守ってくれました」
これに廣田さんは驚き、感動を覚えたそうだ。日ごろから従業員を大事にしている気持ちが、しっかり伝わっているからこそ出た言葉だろう。
そんな廣田さんが今後の構想として挙げていることのひとつが、2025年に開催される大阪・関西万博会場での出店だそうだ。
「すでに申し込みは済ませてあります」
採用されたら会期中に1週間だけの出店だそうだが、大阪のだし文化を世界へ発信する足掛かりになることを願っているという。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)