江戸への廻船 樽酒は揺られて美味になる? 当時の航海を再現「伊丹諸白下り酒」の“味変”を検証
江戸時代、摂津国伊丹(現在の兵庫県伊丹市)で製造された清酒は評判を呼び、遠く江戸へも運ばれました。江戸への船旅の途中、樽の中で揺られたお酒はよりおいしくなったと言われています。
■かつて江戸に運ばれたお酒は「下り酒」と呼ばれ、愛されていた
清酒の発祥は兵庫県伊丹市。それまでの濁り酒と違って、透明な日本酒が生まれたのは16世紀のことでした。清酒が発明されたのは奈良県の寺院とされていますが、その技術を元に大量生産して広く国内に普及させたという意味での発祥は伊丹市といわれています。麹と掛米両方に精白米を惜しみなく使った、伊丹諸白。時は元禄、それまでの甘いお酒とは全く違う清酒の誕生です。
上方から江戸へ運ばれることを「下る」と言った時代。長い船旅を経て運ばれるのは、本当に価値のあるものだけでした。値打ちのないものを「くだらないもの」というのは、それが語源とされています(諸説あります)。
伊丹で生まれた清酒は、菰樽に詰められて船で江戸に運ばれます。日本近海は荒れることも多く、旅の途中揺られ揺られて江戸に到着。その頃には熟成が進んでお酒は一層おいしくなった、と言われています。
■ 令和の世に「下り酒」を。「伊丹諸白下り酒プロジェクト」
この度、なにわの海の交流会、伊丹諸白下り酒プロジェクト実行委員会の主催で、伊丹市の小西酒造からヨットで菰樽を運び、「下り酒」を再現するイベントが催されました。
10月20日。小西酒造本社で、昔ながらの藁で樽を巻いて菰樽を作るところから始まって、その後荷車に積まれた菰樽は猪名川左岸沿いに人力で尼崎市の戸ノ内まで運ばれました。ウォークイベントを兼ねた、陸路約8キロの旅です。
途中、阪急電車のガードをくぐる際には一旦樽を降ろしたり、堤防の階段を上ったり、3時間ほど掛かっての移動。人力でいけるところは人力で、江戸時代にこだわっています。
戸ノ内の桟橋で、参加者全員で記念撮影。小西酒造からカップの樽酒が配られました。
そこから菰樽は大阪北港ヨットクラブのレスキュー艇に積み込まれて、北港ヨットハーバーに向かいました。
翌週10月27日、大阪北港ヨットハーバーで出港式が行われました。小西酒造の社長ほか、来賓・応援の皆様が見守る中、41フィートのヨット「サザンクロス」に積み込まれた菰樽は、11月3日の東京着を目指して大阪港を出港していきました。
ただしこの日はいきなり航海ではなく、泉州の淡輪港に入って夜は宴会だったそうです。このあと淡輪を出て、浜島、御前崎、真鶴、横浜と寄港しつつ、東京・夢の島マリーナに向かいます。
■お酒の味は変わるのか?
さて、果たして本当にお酒の味は変化するのか。杉で作られた樽に詰められた清酒を、船長の中路さんは航海中毎日少しずつ抜き出して、サンプルとして持ち帰ってくださいました。そして11月某日、とある会議室でごくごく内輪だけの「試飲会」が催されました。
実は筆者、あまりお酒が強くなく日頃ほとんど飲まないのですが、今回は別です。とても貴重な機会ですし、非常に興味があります。
中路船長、主催者の高見さんほか、小西酒造の社員の方も2人参加されています。ここはひとつ、自分自身の感想よりも日本酒エキスパートの皆さんの意見に従って記事を進めて参ります。
まず、10月27日、大阪港から数時間。少し杉の香りはするものの、まだまだフレッシュというか若い味です。
10月28日。少し酸味が出てきた感じです。
10月29日は抜き忘れたそうで、なしです。
10月30日は波高3mの時化の中、揺れに揺れたそうです。その夜に抜かれたものは、かなり杉樽の匂いが勝ってきた印象です。
10月31日。この日のものに一堂かなり面食らいました。なにか急に蒸留酒のような不思議な味になっていたのです。日本酒の専門家も「これは……なんでしょうね……」と首を捻るばかり。さらに11月1日のものはまた元の流れの味に戻っていたので、やや謎の残るところです。
11月2日。この日は新幹線が止まったほどの大雨の日でした。この辺りになると、初日とは明らかに違う味になったなという実感があります。熟成というのでしょうか。杉の香りも強くなってます。
そして、11月3日。さらに杉の香りが強くなります。ただ、一方で「ちょっとえぐ味がでてきたような……」という意見もありました。
江戸時代のお酒の旅を再現した今回の企画。日々変化していくお酒の味を試すという珍しい体験をさせていただきました。
結論・菰樽に詰めて船で江戸まで運べば、とにかくお酒の味は変わります。
(まいどなニュース特約・小嶋 あきら)