【ターニングポイント】西を変えた敗戦 菰野高時代コーチの佐藤氏明かす
人は長い人生の中で、幾度となく岐路に立つ。そんな時に何を思い、感じ、行動したのか。「ターニングポイント」では、虎戦士がプロに入るまでのきっかけに迫る。第4回は西勇輝投手(28)。菰野(こもの)高時代に猛烈な走り込みで礎を築き、メンタル面も含めて才能を開花させたのが当時のコーチ・佐藤良氏(36)。1人で取り組んだ猛練習から、右腕の野球人生は変わった。
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西の高校時代をコーチとして支えた佐藤氏は今年の3月31日、京セラドームにいた。移籍後初登板を見るために。初回、無死一塁でヤクルト・青木が放った打球を遊撃・木浪がファンブル。併殺を取ることができなかった新人に、マウンドから声をかけた。この光景に佐藤氏は「なんか、すごくうれしかったですよ」と言う。十数年が経過しても変わらない右腕の原点だ。
佐藤氏が西と出会ったのは06年4月。「ガツガツして俺が、俺がとか、俺が勝つんだとか。そういうタイプではなかった。のんびりしていて1年生、2年生の時はサボり癖がある子でした」。
だが、素材の良さは認めていた。「きれいなゆったりしたフォームで投げる子。死ぬほど練習しようとか、そこまで気持ちが強い子ではなかったので、どうやってその気持ちを起こさせるか、どうやって『コイツに負けたくない』と思わせるかがテーマでした」。Bチームの試合で実戦を積ませ、メンタル面を改善しようと試みた。
2年生でエースとなった西は07年7月28日、三重大会決勝で宇治山田商に0-4で敗戦。あと一歩で聖地に届かず、ベンチで涙を流した。「相手のピッチャーも2年生。それがむっちゃ悔しくて」。流した涙の理由を、西は鮮明に振り返る。
3年生が引退し、西が最高学年になった。練習前の、とある日だった。佐藤氏が「早く行くぞ」と西に声をかけ、練習が始まるのが通例。だが「自分でランニングシューズに履き替えてトレーニングに来て『違うな』と思いました」と当時を思い返す。
言葉を交わす中で、佐藤氏は西の強い思いを聞いた。「すごく悔しくて、甲子園に行きたいと言ったんです。それまで、そんなこと言ったことなかった。何としても甲子園に行きたい、絶対プロに行きたいと」
最も過酷だったのは約25メートルダッシュを250本走るというもの。地獄だった。夏はコンクリートに触れないほどの暑さの中、走り続けた。「全部キツかった。周りのヤツは耐えられないからいなかったし、自分一人でやっていた。自分は目標もあって、夢があった。投げ出すことはなかった」。
あの日々があったからこそ「基盤を作ってくれたよね。あれだけ走ったというのもあるし」と西は述懐する。マウンドでの振る舞いも変わっていった。練習に付き添った佐藤氏は「野手にすごく声をかけるようになりました。エラーしたらその子に声をかけて点につながらないように。精神的にチームの中心になっていこうというのは感じました」。味方にミスが起きればテンポ、間合いが悪かったのかと自らに責任を向けた。
教え子で初のプロ野球選手が西。「今でもそうなんですけど、あの子の人柄、仲間を大事にする姿というのは本当にこちらも勉強させてもらいました。自分が決めたらやる男。表に出すわけではないけど、秘めている闘志は人一倍だと思います」と西を評する。そして今、猛虎の先発ローテを支える男にとって、佐藤氏とは-。「あの人がいなかったら、プロになっていない」と断言した。
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