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前広島スカウト部付部長 宮本洋二郎氏

2013年3月18日

 通い慣れた甲子園球場の前で、思い出を語る元広島スカウト・宮本洋二郎さん(撮影・坂部計介)

 通い慣れた甲子園球場の前で、思い出を語る元広島スカウト・宮本洋二郎さん(撮影・坂部計介)

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 甲子園球場近くの食堂「真七美」で談笑する元広島スカウト・宮本洋二郎さん  甲子園でスピードガンを構える宮本洋二郎さん

 「17日に(2軍の)東光寺で練習を見ていたら、内田(2軍)監督が『全員集合』と言うて、自分を真ん中にして全員写真とってくれて、あれは感動したなあ。あと、東光寺から油津駅まで記念に歩いていたら、鈴木(誠)、高橋、申成鉉らが追いかけてきて。うれしいですよね」

 選手としては、米子東でセンバツ準優勝。早大を経て巨人に1965年に入団した。しかし、2年で2勝。広島にトレード移籍し、南海で実働10年の現役を終えた。その後、広島でスコアラーからスカウトへ。関西を中心に活躍し、倉、前田健、今年のドラフト1位ルーキー、高橋(龍谷大平安)などを担当した。その観察眼は、スコアラー時代に磨かれた。

 ‐スコアラーとして広島の松田オーナーから評価されたと聞きますが。

 「よくほめてもらいました。それまでのカープのやり方じゃなく、チャートを色分けでやったんです。例えばブルーがストレート、赤はカーブと。ストライクゾーンには○とか△じゃなく1球目は『1』と。バッティングチャンスでどういう球種を投げているか、一目瞭然になるように」

 ‐相手のクセを見抜く目も高かったそうですね。選手の信頼も厚かったでしょう。

 「山本浩二とかが『宮さん、おいしい話ある?』と聞いてきてね。技術がなければクセや球種がわかっても打てないけど、彼らは技術があるから(クセを見抜けば)完璧やったね」

 ‐常々観察力の訓練をしていたそうですが。

 「やってましたね。例えば隣の家のカーテンの色は何色か、今の階段は何段あったといつも注意していました」

 ‐スカウトとしては、広島黄金時代の礎を築いた木庭教さん(※(1))の下で学んだ。

 「木庭さんのかばん持ちみたいなことをやっていました。でも直接教えられたことはないんです。木庭さんと並んで歩いたことは一回もなかった。一歩下がって、木庭さんがされること覚えておく。監督と部長とご両親にはこうあいさつするねんなって、帰ってメモしておく。見て覚えることを繰り返しました」

 生き馬の目を抜くドラフト戦線で“剛腕”や“寝技”を使わない、ただ自分の目を信じて選手を発掘し、ひたすら足を運んで誠意を伝える愚直な29年だった。スカウティングは「恋愛」だと宮本さんは言う。

 ‐一番思い出に残るドラフトはいつでしょう。

 「やっぱり二岡(98年度・巨人2位、現日本ハム)です。ずっと追いかけさせてもらった」

 逆指名を受けるため、宮本さんは毎朝、練習開始前の近大グラウンドに到着し、練習に出てくる二岡にあいさつすることを日課にしていた。また、試合では通常スカウトが陣取るバックネット裏ではなく、いつも三塁側スタンドに座った。

 「内野のボール回しの時に、ネット裏は目立たないでしょ。でも(三塁側に)ポツンといたら目に入る。僕らはまず、自分を知って欲しいというところからなんです。(スカウティングは)恋愛ですよ。男のケツばかり追う恋愛」

 97年にアマ5冠を達成した最強時代の近大で攻守巧打の遊撃手だった二岡は、98年度ドラフト(※(2))の即戦力野手として阪神、巨人、広島がマークを続けていた。特に広島は二岡の出身地ということもあり、いち早く1位で獲得する意思を表明。巨人は上原に続く2位指名が濃厚で、阪神はドラフト方針がなかなか固まらなかったため、広島が圧倒的にリードしていると宮本さんは感じていた。しかし、最終的に二岡は巨人入りを決断。ドラフト直前、3球団のスカウトは、近大野球部寮で同日にそれぞれ結論を伝えられた。

 「寮に行くまで答えはわからなかった。備前さん(喜夫氏=当時スカウト部長)と僕とが監督室で断られた。けど、監督には断られたけど本人には断られてないからまだ信じられなかった。あの翌日に大学選手権の予選が西京極であって、僕は行ったんですよ。備前さんには『お前アホか、断られて何で行くねん』と言われたけど、僕は本人から聞きたかった。それまでは僕は追いかけると思っていた」

 ‐その日も同じ場所に座っていました。

 「あの時ね、スタンドにいる僕に、あいつは帽子をとって頭を下げたんですよ。僕はその時、まだ脈あるな、と思いましたよ。今思えば『すいません』やったんかなあ。僕は二岡の口から(断りを)聞きたかった。そして、頑張れよと言いたかった。それはいまだに悔いが残るんです」

 ‐まさに恋愛。ふられた選手の活躍を見るのはつらいものですか。

 「いや、頑張れよという気持が強いです。彼がジャイアンツでレギュラーを張ってがんばれば、僕らが追いかけていた目は間違いなかったという自信になる。僕らが追いかけていた選手が他球団に行って、ボソっと終わるんじゃなく、活躍してくれるのがうれしい。仏教大の大野(中日)とか天理大の小山(巨人)とか、がんばってやってくれりゃ、追いかけててよかったなと思います」

 逆指名、希望枠の時代が終わると、ドラフト戦略は相手への密着マークよりむしろ他球団の動向や当該選手の希望など、情報戦が重要となった。しかし、宮本さんは愚直に選手を追い続けるスタイルを貫いた。

 ‐06年ドラフト会議では前田健を高校生1位で指名しました。この年は田中(楽天)、坂本(巨人)、大嶺(ロッテ)ら高校生が豊作でしたが、宮本さんは一貫して前田健を推していました。最終的には単独指名になりましたが。

 「年寄りというのは武器なんです(笑)。あの年はほかの球団もマエケンに来ていたけど、クソ熱いのに年寄りのおっちゃんが毎日みんなより早くきて、練習終わってみんな帰るまでいたら…。そのうち誰も来んようになった。最後まで追いかけ続けたのはカープだけだった。年寄りが武器になった(笑)」

 ‐前田健のどこが魅力だったのでしょうか。

 「目配り、気配り、人への思いやりといった部分です。僕はそういう気持ちを持っている人の方が伸びる率が高いと思う。プロになるんやから、そんなことどうでもいいという人もいるけど、技術だけじゃ飯は食えない。あの子をずっと追いかけて、技術は1着とわかっていた。その上で、あの子が同級生、下級生、監督、コーチへの接し方、コミュニケーションの取り方がすごいと思ったんです。外野手として出場する時でも、必ずマウンドに寄って、投手に一言二言かけてからレフトへ行く。なかなかできまんよ」

 ‐そこに“ほれた”わけですね。裏金問題が発覚したことなどもあり、ドラフト、スカウティングが一種のマネーゲームのように見られたこともありましたが。

 「人間って何か通じるものがあるでしょう?自分自身がその子のために一生懸命誠意を尽くすことで、わかってもらえると今でも思うんです。誠意って何か?金やという人もいるし、言葉巧みな人もいるけど、最終的には本当の『誠意』って何も言わなくても、お金でなくても、通じるものやと思うけどなあ」

 ‐広島はスカウティングと育成によるチーム強化が評価されますが、スカウトとしてそのプライドはありましたか。

 「11球団のスカウトには負けたくないという気持ちは僕だけじゃなく、みんな持っていると思う。1人の選手に対して、ほか「10」見たら、うちは「15」見る。そのプラス「5」はどこを見るか?技術プラスアルファ。目をつけるところが、ひょっとしたらいいのかも。栗原なんかは人間的にもいいですよ。堂林も、キャンプで朝から晩まで練習している。全然手を抜くことがない」

 ‐広島は常にドラフトの方針が明確。他球団の評価が高くても「うちはいらない」とはっきりしており、逆もあります。

 「うちの社長(松田オーナー)のすごいところは、後から『やっぱり(他球団の)あいつがよかったやないか』とは絶対に言わん。だから僕らは思いきって推薦できるし、それが良い結果につながる。後からあっちの方がよかったと言われたら、推せなくなるでしょう。だから、カープには本当に感謝してます。この年になるまで、がまんして使ってもらって」

 ‐昨秋ドラフト1位の高橋が、最後の担当になりました。“外れ外れ”で、宮本さんの最後の選手が1位になった。

 「ほんとですね(笑)。技術的にはあれだけフルスイングできる高校生は久々に見たんです。今は内田2軍監督の言うことだけ聞いて、技術的にカーブはこう打つとかじゃなくて、ただフルスイングできていればいいと、高橋にも話してあります。あの子はポーっとしとるけど、性格がいいんです。もっと顔がよければなあ(笑)」

 ‐宮本さんご自身は、米子東でセンバツ準優勝。早大時代、ドラフト制度のなかった時に巨人から声がかかった。

 「当時、早稲田のグラウンドでピッチングしていた時に、後ろで当時川上(哲治)さん=当時監督=と荒川(博)さん=早大OB・当時打撃コーチ=が見てたんですよ。当時は神様ですよ。でも、全然気づかなかった。キャッチャーが頭下げてようやく気づいた(笑)。その後、高田の馬場のスナックに川上さんと行き、『来いや、うち』って。巨人が絶対にいくから身を隠しておいてくれと。母親と2人でお茶の水かどこかで1週間か10日くらいいました。(他球団と)接触しないでくれということだったんでしょう」

 ‐入団2年目のオフに広島へトレード移籍となりました。

 「その年の納会のちょっと前に、僕と森永(勝也)さんのトレードの話が新聞の1面に出たんです。納会の時、トイレ行ったら川上監督がいたんで聞きました。『新聞出てるのほんとですか?』『お前連れてきたのワシや』。目の前でしかもしょんべんしながらやから、ほんまやと思った。そうしたら、次の日トレードやった(笑)」。

 ‐アマでは華々しい経歴だったが、プロではつらいことも多かった。

 「僕にはおもしろい話として残ってるんやけどね。僕はたぶん高校大学でめいっぱいいってしまったんちゃうかな?プロ野球に入れればという夢はかなった。ただ僕の技術としてはトップギアに入っていたんやと思う。10年ようもったなあって思います」

 ‐宝物はありますか。

 「高校時代のセンバツ準優勝メダルと、プロ初勝利のボールかな。母親が大事にとっておいてくれたんです。あと、僕の勝負ネクタイ。高校時代のキャプテンで吹野という今でも仲のよい友人がいるんですが、自営業をしている。それで、マエケンと契約が終わった後に、勝負ネクタイを交換しようという話になって、僕の勝負ネクタイはあいつへ行き、あいつの勝負ネクタイが僕のものになった(笑)。それを高橋の契約の時にしていたんですよ」

 ‐今はスカウトもパソコンを持ち歩いてインターネットを活用しているが、宮本さんは無縁だった。

 「あんなんようわからん(苦笑)。僕は昔ながらのやり方が性にあっとる。情報は聞き耳を立てて、いろんな人と話して、どこかいい選手いませんでしたかって。そこへ行って目で確かめる。やはり足。歩かんと」

 ‐スカウトとして最後まで心がけていたことは何ですか。

 「スカウトは頭を下げることで始まり、頭を下げることで終わる。スカウトはプライド持ったらあかん。心にプライドは持っててもいいんよ。口や態度に出したらあかん。大切なお子さんをうちに来てほしいと言うんだから、大事に大事にしないと。選手とは親子と思うくらいに。そういう気持ちがないとしんどいと思う」

 ‐とはいえ選手として一流だった人が、頭下げ続けるのは難しいことでしょう。

 「僕はいいことも悪いこともすぐに忘れちゃうんで(笑)。自分から、甲子園で準優勝したとか言ったことないんじゃないかな。聞かれても言いたくない。自慢することは1個。酒が強いことだけやね」

 宮本洋二郎(みやもと・ようじろう)1942年4月3日生まれ、70歳。兵庫県出身。現役時代は投手。米子東では1960年に春夏連続甲子園に出場し、春は高松商の山口富士雄(後に阪急)にサヨナラ本塁打を打たれて準優勝。早大では1年春から登板し、当時の川上監督の誘いで65年に巨人入り。2年で広島にトレード移籍。主にリリーフとして登板し、74年に南海へ移籍し同年に引退。実働10年、222試合登板、21勝18敗3セーブ。南海コーチ、広島コーチ、同スコアラーを経てスカウトとして通算29年。広島スカウト部付部長を13年2月末で退職。現在は尼崎市内で妻と2人暮らし。

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