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焼き鳥店オープン 元阪神・葛城育郎さん

2013年9月16日

 焼き鳥店店長として新たな人生の打席に立つ葛城育郎さん(撮影・保田叔久)

 焼き鳥店店長として新たな人生の打席に立つ葛城育郎さん(撮影・保田叔久)

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 ‐そこで飲食業界に目を。

 「そうですね。もともとプロで野球をやっていなければ、板前とか手に職をつけたかったので。これまで知り合った方々と、今後もつながっていける方法はないかな…と考えていたところに、飲食でやってみないかという話を頂いたんです」

 (続けて…)

 「それに、野球を辞めた子たちに、ちょっとでも手を差し伸べることができたら、と思っているんです。1年で100人以上が戦力外になる世界。10年…と考えたら1000人が辞めることになる。第2の人生は一般企業、野球関係…いろいろありますけど、その中の1つとして『葛城』という店があれば、と。それが全国各県に1店舗ずつあれば、12球団カバーできる」

 ‐スポーツ界の発展にも貢献したいということですね。

 「野球界だけじゃなく、サッカー界でもそう。年間で結構な人がクビになっているのが現状です。辞めた選手の犯罪も多くなっていますから。それがちょっとスポーツのイメージを落としているので。なんとかできたらな…と思っています」

 ◆お金だけ投資して、店を開店させる方法もあった。だが葛城さんは、すぐに大阪・野田駅近くにある居酒屋へ修業に出かけた。華やかな世界で暮らしたプロ野球選手が、一転して日陰の道を歩むと決めた。あくまで現場、“現役”にこだわった。

 ‐なぜまたイチから厳しい修業してまで、とことんやろうとしたんですか。

 「う~ん、そうですね。学校の先生を見てても、上に立つ人は経験して、一生懸命勉強していると思うんです。オーナーとして、言えることは言えると思うんですけど、それだけじゃ誰も信用してくれない。陰で『野球しかやったことがない』と言われるのが嫌だったんです。いままでバイトもしたことがなかったので。まず自分がしっかりとした土台にならない」

▼「苦労と思わない」

 ‐修業中は時に、好奇の目にさらされることも…。

 「『(プライドを)全部捨てて、よくできたな』って、よく言われるんですけどね。僕にとってはそれが普通だったので。全く苦でもなかったですし、当たり前のことだと。あとはやっぱり、自分の店に来ていただける人のためにも、自分が店にいないといけないと思ったので。よく『あ、ホントにいるんや』って言われます(笑)プライドもクソもない。苦労とは思わなかったですよ。逆に楽しかったです、修業中は違う世界を見れたので」

 ‐修業では日々、どんなことをされていたんですか。

 「例えば朝3時半くらいまでに市場に行って、羽をそいである鶏をさばかせてもらったりですね。ネックってどうやって取るのかとか、いろんな勉強をさせていただきました。その後、そのままお店に行って働いて、帰って3時間くらい寝る…っていう生活がしばらく続きましたね」

 ‐実に1年半もの修業期間を経てついに、ご自身のお店を8月8日にオープンさせました。

 「いろんなことが初めてで…。バイトを雇うのもそうですけど、面接したこともされたこともなかったので。タウンワークに載せて、電話対応をして。怖いですよね。その1回で判断しないといけないですから。でもいまは、自分の家族じゃないですけど、それくらい思ってやっています。一国のあるじとして。従業員もいますし、嫁も、家族もいますから。それを守るために、このお城をしっかり守っていきたいと思っています」

 ◆阪神ではお立ち台でのパフォーマンスなど、明るいキャラクターとしてファンからも愛されていた。オープンさせた店に付けた名前は「酒美鶏 葛城」。そこには、葛城さんの大切な思いが込められていた。

▼店名に込めた思い‐

 ‐店名の由来を教えて下さい。

 「現役時代に『ウォォォ‐』で親しんでもらいましたから。『叫ぶ』という意味を入れたかったんです。それに野球の守備で、『シュビドリ』と読まれる方もいて。いろんな意味でとってもらえればいいかな、と思っています。あとは女の人もたくさんいて欲しいので、『美』という字もいれたかったんです。そのためにワインもたくさん置いていますから」

 ‐メニューも豊富ですが、中でもオススメはなんですか。

 「やっぱり溶岩焼きは食べて欲しいですね。ウチは生の鶏を自分で焼くスタイルなんですけど、焼き肉のように炭で焼いたりすると、ずっとそれを見ておかないといけないんですよね。(煙を吸う)ダクトを組んで…とかも考えたんですけど、そうすると前が見えなくて会話もロクにできないので。置いておいても焦げない方法はないかなと、いろいろ探して見つけたんです」

 ‐飲食業界へ転身して、「野球」がいまにつながっていると、感じることはありますか。

 「もともとは根底に『人を喜ばせたい、楽しませたい』という気持ちがあったんです。それなら自分が明るく、楽しく生きないといけない。そうすればファンの方も喜んでくれる。いまでもここに来たお客さんが、食べておいしい、会えてうれしいと言っていただけるのが、充実感としてあります。人の笑顔が見たい、その思いは野球やってたころと変わってはいません」

 ‐葛城さんにとって「野球」とは何だったんですか。

 「それは野球をやってきたからこそ、たくさんの人と出会いがありました、僕は引っ越しが多かったので、野球やっているだけで友達ができた。先輩との上下関係とかもそうですけど、やっぱり人間形成ですよね。『出会い場』でした」

 ‐懐かしい出会いもあったりしましたか。

 「まだできて間もないですからね。でも、ご三家(金本氏、矢野氏、下柳氏)には来ていただきましたし。この前はセキ(関本)と良太が来てくれました」

 ‐いまの阪神への思いはありますか。

 「個人的には本当に、頑張って欲しいと思いますね。剛(日高)も入ってきましたから。ただ、否定ではないですけど、パフォーマンスもいいんですが、いまは巨人の1強になってしまっている。外から見ている立場としては、本当の強さというんですかね…。僅差の試合で勝てる、要所要所で出せる力をチーム全体に、身につけて欲しいと思います」

 ‐10年後の夢も聞きましたが、近い将来の夢はなんですか。

 「昔一緒に戦ったメンバーでね、一度集まって飲みたいんですよ。05年や、06年ころですかね。金本さんや、赤星さん…本当に楽しかったですから。昔の仲間全員でね“決起集会”じゃないですけどね。その場所がここだったらなと思っています。バカみたいな話をね。一回招待というか、僕がみんなに声掛けてみようと思ってます。それが僕のいまの夢ですね」

 ‐野球のユニホームは。

 「どうですかね。何年かして店が軌道に乗って、もう1回ユニホーム着てみたいなと思うのか、どうなのか…。いまは分かりませんね。ただ、ここが僕のグラウンドなので。いまは“監督”ですから。まだ現役。そういう意味では、ユニホームは違いますけど、しっかりとプレーしたいと思います」

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