これが智弁和歌山の強さの秘訣!?高嶋監督の逸話とは…

 12月1日に智弁和歌山・高嶋監督の勇退記念パーティーが行われました。僕はテレビ関係で働く智弁和歌山OBの方から依頼を受け、高校野球芸人としてアンジャッシュ・渡部さんたちと、ビデオメッセージで出演させていただきました。パーティーはとても盛り上がり、思い出話に花が咲いたそうです。ということで、今回は僕も高嶋監督との思い出を紹介したいと思います。

 大学2年生だった97年。初めて高校の練習を見に行ったのが、智弁和歌山でした。当時は高塚信幸投手(元近鉄)、現監督の中谷仁捕手(元阪神など)たちがいて、めちゃくちゃ強かった。練習を見たくて、後輩と智弁和歌山まで行きました。この時、高嶋監督と初めてお会いしました。

 智弁和歌山は学校が小高い山の上にあります。僕らは坂を上がって、敷地内にある野球部のグラウンドへ向かっていると…。前から人が走ってきました。

 両手とも手の甲を下にしてグーで握って、腕を横振りで走るあの独特な走り方。そう、高嶋監督です。僕らが「ファンなんですが、練習を見ていいですか?」と聞くと、「好きなだけ見ていってください」とおっしゃると、一回見たら忘れられないフォームで走り去られ、忘れられない出会いになりました。

 数年前には、日体大を卒業した高嶋監督を、智弁学園に呼んだ和泉先生の勇退パーティーで司会をさせていただきました。その時の高嶋監督のあいさつはとても印象的でした。今もなぜ現代的なトレーニングではなく、走ることをメインとしているか。その理由を話してくれました。

 「今の子は褒めたら簡単に伸びますよ。でも、九回2死で救ってくれるのは、これでもかって追い込んできた選手なんです。『意地を見したるぞ』って、にらんできた選手が活躍しているんですよ。時代に逆行して、何の意味があるんや?という練習を課しているのも、精神的に強い子を作るためなんです」と。確かに芸人でも「上手やな」って褒められている人って、ここっていうところで活躍できないことがあります。共感すると同時に、智弁和歌山の底力の秘密を感じました。

 高嶋監督も自分を追い込んでいました。高野山を登るのは有名ですね。他にも逸話はあります。済美の部長が智弁和歌山との練習試合の日、予定より1時間前に河川敷へ行ったそうです。寒い時期で、川沿いでは上半身裸で乾布摩擦している人がいたそうです。誰かと思ったら高嶋監督!真冬なのに「寒いから水をかぶらんといかん」って、さらに水を掛けていたそうですよ。

 14年に知人を介して書いていただいたサインには「与えた恩は水に書け 受けた恩は岩に刻め」と記されています。その精神で教え子のために尽くし、甲子園では偉大な記録を作られました。48年間、お疲れさまでした!!

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 かみじょうたけし(本名・上条剛志)1977年12月31日生まれ。兵庫県淡路島出身。龍谷大卒。血液型A型。身長170cm、体重50kg。高校野球大好き芸人として知られる。趣味・特技は競輪予想、モノマネ。

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