名匠・澤井信一郎さん死去「野菊の墓」など多数監督 松田聖子「笑顔が忘れられません」
「野菊の墓」や「Wの悲劇」など、多くの女性アイドル映画で知られる名匠・澤井信一郎(さわい・しんいちろう)監督が3日午後7時5分、多臓器不全のため都内の病院で死去していたことが6日、分かった。83歳。静岡県出身。東映が発表した。葬儀・告別式は近親者により密葬として行う。喪主は妻の郷子(きょうこ)さん。
澤井さんの最期について、妻の郷子さんは「しばらく闘病生活を続けており、もう一度映画の現場に立つことを夢見ておりましたが、叶うことなく旅立ちました」と明かした。
映画関係者によれば、遺作となった超大作「蒼き狼 地果て海尽きるまで」(2007年)の後は体調を崩しており、11年頃までは舞台あいさつやトークショーなどの仕事は行っていたが、その後は闘病生活を送っていた。16年2月の安藤昇さんのお別れの会、今年3月の岡田裕介東映会長のお別れの会には出席していたという。
61年に東映に入社。娯楽映画の巨匠・マキノ雅弘監督らの現場で鍛えられ、マキノ監督、高倉健さん主演の「昭和残侠伝 死んで貰います」(70年)などで助監督を務めた。「トラック野郎」シリーズでは脚本家、助監督として貢献した。
81年に松田聖子(59)主演の「野菊の墓」で満を持して監督デビュー。マキノ監督譲りの豊かな情感と、日本映画全盛期の撮影所で培った確かな手腕で注目を集めた。
監督2作目の薬師丸ひろ子(57)主演の「Wの悲劇」(84年)は毎日映画コンクール日本映画大賞、日本アカデミー賞最優秀監督賞、ブルーリボン賞主演女優賞(薬師丸)、助演女優賞(三田佳子)など多くの映画賞を獲得した代表作となった。その後も原田知世(53)、後藤久美子(47)、モーニング娘。など女性アイドル映画を多く手がけた。
「野菊の墓」が映画デビューとなった聖子は「撮影では、慣れない私にとてもあたたかくご指導いただきました。撮影の時、山野を一日中駆け回って疲れた私を、いつも励ましてくださいました。あの時の監督の優しい笑顔が忘れられません」と感謝を伝えた。
また、吉永小百合(76)と渡哲也さんが29年ぶりに組んだ「時雨の記」(98年)などのメロドラマでも手腕を発揮した。
郷子さんは「澤井の監督した作品をもう一度ご覧いただき、偲んでいただくのが何よりの供養になることと思います」と願った。澤井作品の輝きは、今後もあせることはない。